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東浜巨がセンバツ優勝よりも心に残る負け試合 「野球人生の原点」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 

 2020年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で全国高校野球選手権大会が中止となり、高校球児にとっては「聖地」に立つ機会が奪われた。沖縄でも、夏の甲子園地方大会の代替大会となる「2020沖縄県高校野球夏季大会」が開催された。例年とは異なる夏。選手たちはさまざまな思いを胸に白球を追った。

現在プロ野球で活躍する選手たちもかつては高校球児で、それぞれ苦境や挫折を糧に今の地位を築いてきた。今季、プロ8年目で初の開幕投手を務めた東浜巨(ソフトバンク)もその1人。「高校時代に負けた試合が原点」という歩みを振り返ってみる。

2008年のセンバツで優勝し、喜びを爆発させる東浜巨=2008年4月日、甲子園

2008年、東浜は沖縄尚学高校のエースとして同校を9年ぶり2度目、県勢としても2度目のセンバツ優勝に導いた。比嘉公也監督は1999年の初優勝時のエース。抜群の素質を持った東浜と26歳の比嘉監督のコンビは話題になり、沖縄を沸かせた。

しかし、東浜がセンバツ優勝よりも「忘れられない」のは、高校時代の負け試合だという。

同じ相手に2度の敗北、準備の大切さを痛感

まず2007年夏の沖縄大会。沖尚は準決勝で大会屈指の右腕・伊波翔悟を擁する浦添商業と対戦した。

試合は東浜と伊波による2年生エース同士の投げ合いになり、2-2で迎えた七回裏。東浜はバントをした際に脱水症状による両足けいれんで倒れ込み、そのまま救急車で病院へ運ばれた。延長にもつれ込んだ末、チームは4-5で負けた。申し訳なさでいっぱいになり、3年生に謝ったという東浜は「野球人生を変えた試合。あの試合があったから甲子園で優勝できた」と語っている。

続く08年、高校最後の夏。センバツに続く甲子園制覇を目指していた東浜の前にまたしても立ちはだかったのは浦添商業だった。沖縄大会決勝で初回に5失点を喫し、2-5で敗れた。

このとき、東浜と伊波の対戦は注目を集め、決勝の会場となった北谷公園野球場には試合開始3時間前から約700人が列をなしていた。球場周辺の道路は約4キロもの渋滞が発生。東浜ら沖尚ナインの乗るバスも渋滞に巻き込まれ、球場に到着したのは試合開始わずか35分前という異例の状況だった。

浦添商業はウオーミングアップが不十分だった東浜の立ち上がりを攻め、勝利を引き寄せた。東浜は後にこの決勝戦を振り返り、「浦添商業は球場近くのホテルに前泊し、ビデオで投球を徹底的に研究していた。準備の差で負けていた」と語っている。

プロの世界で活躍を続ける東浜巨=2019年5月、沖縄セルラースタジアム那覇

東浜は高校時代の敗北を「自分の原点」という。「才能ある人たちと差をつけるには練習の濃さや、野球以外の私生活の部分で自分に厳しくするしかない」という軸はぶれることなく、プロの世界での活躍につながっている。

(大城周子)

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