夜間の逃避行、苦行のよう 山城正常さん 捕らわれた日(33)<読者と刻む沖縄戦>


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破壊された旧億首橋

 金武の開墾地を離れた山城正常さん(86)=南風原町=の家族は金武観音寺の壕に避難します。「食べ物はほとんどなかった。黒糖をなめ飢えをごまかました」と山城さんは語ります。

 読谷から来た2人の兄弟がハブにかまれ苦しんでいるのを見ました。血清はなく、刃物で皮膚を切り、血を抜くだけの治療でした。「とても気の毒でした」

 米軍は金武に迫り、家族はさらに北を目指します。

 《日暮れを待って北上を開始した。同じ思いの中南部からの避難民が路上にあふれた。夜陰に乗じた移動である。昼間は林や物陰に隠れ、敵機の攻撃を避ける必要があった。

 夜間の逃避行は体力、気力が要り、睡魔に襲われ、つらかった。男手を奪われた子持ちの家庭には耐えがたい苦行だ。避難途中の道で見捨てられ置き去りにされた老人や子どもの悲痛な叫びを耳にしたが、いかんともしがたい。》

 途中、幾つかの橋が壊されていました。米軍の攻撃だけでなく日本軍が米軍の進撃を妨げるため破壊した橋もありました。

 《想像してほしい。荷物を頭に載せ、幼児を背負い。子どもを抱えて土手を降り、向こう岸にたどり着くことがどんなに大変なことか。》

 先月30日、金武ダムの広場に残る旧億首橋の写真が本紙に載りました。紙面を見た山城さんは当時を思い出しました。