山城正常さん(86)=南風原町=の家族らは父の正矩さんと東村有銘で合流します。集落には住民や日本兵がたむろしていました。家族はその後、再び大宜味村に戻り大保集落近くの小屋に避難します。
大保の集落には日本兵が流れ込んでいました。「多野岳から逃れてきた宇土部隊の敗残兵だったようだ」と正常さんは語ります。日本兵は食料のイモを持って帰ってくる家族を小屋の前で待ち構え「イモを半分よこせ」などと要求しました。
6月末、沖縄の日本軍が壊滅し、組織的戦争が終わったことを教えてくれたのも日本兵でした。「日本は負けた」と兵士は告げたといいます。その後も避難生活が続きました。
そして8月末、米兵に捕らわれました。那覇から共に行動した散髪屋の照屋さん、玄米屋のおばあちゃんも一緒です。
《避難小屋で朝食の支度をしていた時、足音もなく忍び寄った米軍の一隊に取り囲まれ、銃を突き付けられた。同時に小屋を焼かれ、捕虜として羽地村田井等に連行された。》
それは、あっという間の出来事でした。
「朝食の準備をしていると米兵に囲まれていました。『ヘーイ』と呼ばれ、振り向くと米兵に銃口を向けられ、そのまま連行されました」
家族ら10人余は羽地村(現名護市)田井等の収容地区に送られます。