マラリア感染、恐怖の日々 岳原初子さん 収容所で(5)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
旧石川市1区3班の周辺

 羽地村(現名護市)田井等収容地区にある馬小屋で暮らしていた岳原初子さん(86)=沖縄市=はその後、石川収容地区の1区3班に移ります。

 戦後初の行政組織・沖縄諮詢会の志喜屋孝信委員長が父・徳田有堅さんと顔見知りだったことが幸いし、比較的恵まれた環境で暮らします。食糧も豊富にありました。城前初等学校でも学ぶようになりました。ところがマラリアに襲われます。

 《すみかが与えられてやっと落ち着いたと思ったら、恐ろしい怪物―マラリアが現れ、私は狙われた。時間になるとやって来る悪魔。震えが終わると40度を超える高熱に襲われ、頭がおかしくなり、うわごとが始まる。「有銘の海に流されて行く! 早く助けて!」。目が覚めると悪夢は忘れてしまうが…。これが一日おきに続いた。》

 家族の中でマラリアにかかったのは初子さんだけでした。「がたがた震えると米軍配給のカバーやせんべい布団をかぶり、その上から母が乗っかって震えを押さえてくれた。周囲でも体力のない人はマラリアでばたばたと死んでいった」と語ります。

 家族はその後、現在のうるま市立赤道小学校の近くへと移ります。マラリアの苦しみは続いていました。

 《具志川の赤道に来ても怪物は去って行かない。いつ死ぬのか。恐怖の日々。》

 初子さんは自分の余命を考えるようになりました。