3000人超す苦難「沖縄の戦争孤児、今からでも解明を」名護市教委、川満彰さん 「戦争孤児たちの戦後史1 総論編」を刊行


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「戦争孤児たちの戦後史1 総論編」

 戦争で親を亡くした孤児の全体像を明らかにする「戦争孤児たちの戦後史1 総論編」が7月、刊行された。編著者で名護市教育委員会市史編さん係の川満彰さん(60)は、県内の戦争孤児が4千人とも3千人ともされ実態把握が進んでいない現状を指摘し「国が起こした戦争によって、生きる術を失った子どもたちが社会に放り出され人権が奪われた。国や県は、今からでも実態を調査すべきだ」と訴える。

 刊行したのは2016年に全国の研究者らで立ち上げた「戦争孤児たちの戦後史研究会」。戦争の人為性を明確にするため「戦災孤児」ではなく「戦争孤児」とした。フィールドワークなどを通し、過酷な人生を歩まざるを得なかった孤児たちの「戦後史」を掘り起こしてきた。

 第1巻は浅井春夫・立教大名誉教授と川満さんを編者に、石原昌家・沖縄国際大学名誉教授ら14人が執筆。制度などを検証し、日本政府が「親戚らが引き取った」として戦争孤児の実態把握を進めず、支援も民間任せにした無責任さをあぶり出した。

 川満さんによると県内の戦争孤児の数は、琉球政府の記録で4050人とも約3千人とも記され、資料によって開きがある。川満さんは「しっかり調査した形跡がなく、正確に把握できていない」と指摘する。

川満 彰さん

 県内の戦争孤児の多くは、親戚らに「労働力」として酷使されたり、児童養護施設に入ったり「浮浪児」としてさまよったりした。これまで10人ほどに聞き取りを行った川満さん。満州で母やきょうだいを失った自身の父・恵清さん(87)=宮古島出身、沖縄市=とその2歳上の姉、松川フミさん=石垣市=の体験も同書に収めた。

 戦争孤児たちは孤児になった経緯は語るが、戦後の体験については口が重い。川満さんは「育ててくれた親戚らへの感謝と、酷使されたつらい記憶がせめぎ合っている」と指摘する。

 関係者の高齢化が進み、詳細な実態調査ができるのは「あと3~4年」だ。川満さんは「日本政府が戦争責任を曖昧にしたゆがみが弱者である戦争孤児にのしかかった。彼らが戦後、どう生き抜いてきたかを知ってほしい」と話した。

 「戦争孤児たちの戦後史1」は吉川弘文館刊、254ページ。2200円(税別)。全3巻で2巻は8月、3巻は年内発売予定。
 (北部報道部・岩切美穂)