<安倍政権と沖縄3>選挙では「基地」封じ、唐突な振興策も 「丁寧な説明」ないまま


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演説を終え、支持者のもとへ駆け寄りタッチをする安倍晋三首相(右)=2013年7月16日、那覇市の県民広場

 2012年12月に誕生した第2次安倍政権は、これまで県知事選や名護市長選など辺野古新基地建設の是非が最大の争点となった県内の各種選挙に政権幹部らを大量投入するなど積極的に介入した。その選挙戦の多くで新基地建設に反対しない候補を支援し、反対勢力との全面対決の様相を呈した。とりわけ司令塔として県内選挙に深く関わってきたのが政権ナンバー2の菅義偉官房長官だ。菅氏は大型選挙の度に来県し、経済界の引き締めなどに躍起となった。

 安倍政権による介入が鮮明となったのが名護市長選や県知事選だ。2014年の名護市長選では当時幹事長だった石破茂氏が現地入りした際、500億円規模の地域振興基金の創設を突然表明し、批判を浴びた。18年の市長選では、自民側は「辺野古の『へ』の字も言わない」戦略を取り、基地問題の争点化を徹底的に回避した。政権側はその後の知事選でも同じ戦略を取った。自民側が擁立した元宜野湾市長の佐喜真淳氏は公の場で辺野古新基地建設の是非について触れず、さらに普天間飛行場の早期返還についても触れないよう「厳命」された。

 知事選は玉城デニー氏が初当選を果たし、敗北した自民県連は選挙後、辺野古隠しの戦略について「失敗だった」と分析し、選挙態勢については「完全に党本部(官邸)主導で行われた」とした。

 一方、安倍首相自身が来県する機会は多くなかった。慰霊の日に糸満市摩文仁で行われる沖縄全戦没者追悼式には今年を除き毎年出席したが、それ以外では数える程度だった。安倍首相がさまざまな場面で打ち出した沖縄への「丁寧な説明」は最後まで自身が実行することはなかった。