『海神の島』池上永一さんロングインタビュー③ 首里城再建、ウチナーンチュの気持ちが希薄


社会
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 『海神の島』出版を記念し、3回にわたった池上永一さんへのインタビュー最終回。琉球王国を舞台にした物語『テンペスト』で描いた首里城への思いや、再建に向けてのウチナーンチュへのメッセージなどを語ります。(聞き手・宮城久緒)

★ネタバレ注意 (結末部分などネタバレを多く含むので、できれば『海神の島』読了後に読んでください)

首里城正殿=2012年7月
首里城正殿の屋根から焼け落ちた龍頭の残骸と分類して展示されている龍頭の部品=2020年6月11日、那覇市の首里城公園

 ■焼失の日、魂落ちみたいな…

 Q:2019年10月31日に『テンペスト』で舞台にした首里城が焼失した。

 A:読売新聞オンラインにゲラの修正が反映されているかチェックするために、だいたい午前4時半ごろに起きて、新しく更新されるのを確認するのが日課だった。そこにオンラインの記事で速報が入って、首里城火災、ってあったんですよ。ぼやだろうと思ってスルーして。どんどん火の手が上がっているのをツイッターで見て、奉神門とかの方かなと思った。でも、この映像が正殿と分かった。

 ゲラとWEBサイトがあっているかどうか確認する作業をしているんだけど、合っているか、どうか分からないんですよ。文字は読めているのに。俺おかしくなった、って。でもきょうの分の原稿は書かなければならない。原稿書くのはだいたい16時間かかるんですよ。毎日16時間書いて1月100枚できて。それを60枚に圧縮して、って結構、不眠不休な感じ。心がざわざわしていても、書くのがルーティンになっているから指は動いているが、全然心が入っていない変な文章になっている。一応、日本語だけど僕の文章ではないし魂入っていないし。その時に、新聞社などから首里城火災へのコメントの依頼が入った。どんどん書いて次から次へと渡していて。なんかもう魂落ちみたいな一日だった。おかしくなりそうで。

 僕は人間関係にそれほど重点を置いていない。みな嘘をつくし信用できない。どっちかというと僕は沖縄の歴史や文化にかなり重きを置いていて。それは崩れないから、という安心感があったんですよ。人間関係は1年もしないうちに変わるものだけど、風土や歴史や文化は、千年という単位も生きるもんですから。人格のほぼ全てをそこに託していたのにそこが壊れていく。自分が一番大事にしているものが壊れちゃった。なんか幽霊になった気持ちですかね。ふわふわしているんですよ自分が。『海神の島』を書いている時には、〝私は〟という意識で書いているけど、しばらく〝沖縄は〟って主語が変わっちゃって。頭の中が相当やられていましたね。

2008年8月、 『テンペスト』を出版しインタビューに応じる池上永一さん。「読んだ後に首里城に行ってほしい」と話した=那覇市

 ■再建しても同じでない

 Q:首里城が焼失して、もう少しで1年がたつ。再建が進むが、新しく造る首里城はどのようなものになってほしいというイメージはありますか。

 A:今年7月に沖縄に行った時、首里城にも足を運んだ。見学できるようになっていて通路があり、正殿から落ちた龍の頭も見た。僕も含めてウチナーンチュは、再建されることは当たり前に受け止めている風潮がある。どうせ、再建するんでしょう、と。同じ物ができるんでしょう、と。そういう前提で物事が動いている空気感を感じる。でも違うよ。違う。同じ物はできない。似たようなものにはなるけど。

 (平成の)復元の時に断続的に調査して、どのレベルの首里城を造るか検討した時は、もう職人たちの試行錯誤の世界ですよ。ベンガラの色を何層にすればこの色が出るとか。だから、トライアンドエラーの繰り返しでできた首里城と、ノウハウとして確立されている技術で造った首里城は違う。しかも、当たり前に再建されるんでしょう、という空気感が漂っている。首里城が焼失した時には泣いた人がいたけど、もう1回造る時に同じように気持ちを込めて造ってくれるのか、という疑問がある。専門家がやるんでしょうって、放りなげちゃっていて。どういう視点で新しい首里城を、自分たちにおろすのかという、たくし方に個人個人の投影が希薄な気がしますよ。きれいな物ができたとしても魂が入らない。

 熊本城に対する熊本の人たちの気持ちの入り方はすさまじいものがありますよ。なんとしてでも、という思いがあって。震災という悲しいできごとがあったということもあるけど熊本は立ち上がるんだ、という強い思いで。熊本城の再建に市民一人一人が、きょうはどれくらい進んだかな、と眺めているのだと思う。そういうものってできあがった後に大事にされる。

 今回、首里城は失火みたいな形で失われてしまって。予算をかけて再建されるんだろうな、という漫然とした気持ちが醸成されているのを、現地に行って感じた。だから再建される時にウチナーンチュ一人一人がどういう風に首里城に対し、自分の思いを持つのかということが大事。ウチナーンチュは集団になったときにエモーショナルな感じになるが、個別の気持ちに関しては割とないがしろにされている。

 私と首里城の関係というのが個々にあるはずだ。通学途中にみた首里城という人もいるでしょうし、ライトアップされた首里城がいいという人もいるだろうし。どう首里城を愛してきたのか、ということに関して自分の中できちっとろ過してほしい。でないと変なことになっちゃいますよ。体験学習施設みたいになる。これは(平成の)首里城で僕が感じていたのもまったく同じで。外観とかは素晴らしいが、人がいないというのがすごく違和感がある。王宮を日常として使いこなしていた人たちが、そこにいないっていうのがある。
 

■「僕の首里城」だけでは残念

 だから、ここを王宮として、生きた場所として使っていたという物語を生み出すのが作家でしょうと思った。首里城というハードウエアができたからソフトウエアつくらなきゃ。では『テンペスト』がパパパッとできたかというととんでもない、とんでもない。血を吐きながら書いていたんで。毎日、書きながら死ぬのはきょうじゃないかと思って書いていましたもん。当時としては、そういう琉球王朝をスペクタクルな物語として、エンターテインメントとして描く先行文学がなかったので、どれが正解なのか分からないところからいくから怖いんですよ。ただただ怖い。

 ただ不思議なことに、『テンペスト』ができてテレビドラマになって映画になって、舞台になったりすると、ああいうピカピカで豪華な世界が標準になっちゃうんですよね。でも違うよって。書いた本人だから分かるんです。あれは僕の首里城であって。派手で食えない人物たちがいて、けれん味がある。とにかく何もかもピカピカに書いたんですよ。本当にそうだったかは知りませんよ。でも、あれが消費され始めたのは僕が書いてから。みなが僕の物語に乗っかってきた。それも違和感があって。

 本当のことは誰も分からないんですよ。パリンプセスト(書かれた文字などを消し、別の内容を上書きした写本のこと)なんです。

 ローマ帝国があれだけ偉大になったのは、時代時代で記憶の上書きをしていったからなんですよ。どんどんローマ帝国が偉大だと認知されるようになった。でも実際には分からない。だから『テンペスト』でしたのは僕によるパリンプセストなんですよ。別の人物がまたパリンプセストをするべきなんだけど。首里城はああいうものなんだと『テンペスト』を見て思った人たちがいて。うれしいのと危機感があるのと両方かな。書いた本人だから分かるけど、違う。

 首里城というのはハードウエアなんだから例えばプレイステーションにはいろいろなソフトがあるわけじゃないですか。で、何でも入るハードなんだから。もう次から次へと、首里城の物語が生まれてくると思っていたんですよ。なかなか出ないですね。だからなんか変な感じ。ゲーム機1体とソフト1体という感じ。ソフトウェアはいくらでもつくれるんだから。ただ相当なカロリーを使う。相当ですよ。『テンペスト』は2008年に書いたので12年たっている。当初僕のイメージではそれから10本くらい、首里城の新しい物語が世の中に出ているはずだが、出ないですね。そこは残念だな。
 

『海神の島』

 ■3倍は入っている

 Q:池上さんが第8回山田風太郎賞を受賞した翌年、沖縄をエンターテインメントで描いた真藤順丈さんの『宝島』が第9回を受賞した。『宝島』をどう読んだか。

 A:ウチナーンチュを美しく書いてくれてありがとうございます。真藤さんの本は、外から見た視点で書いているが、そのような視点もすごく大事。僕は外側の視点というのは持ち得ない。沖縄の問題を沖縄の人たち以外が描くことに関してはすごく開かれていいことだと思う。僕はもう内側の人間なので、内側でしか書けないですから。いろいろな視点が沖縄に入ってきて、豊かになるんじゃないかなと思う。僕は本土の物語を外側の視点で書くことはできます。だから、あまり日本人的ではないものになるのかもしれない。東京に住んでいるけれでも、もちろんどこかにビジターという気持ちはありますよ。あとゲストという気持ち。自分の故郷だという気持ちはそれほどない。でも、沖縄だとビジターという気持ちはまったくない。当事者なので、いろいろな物語があるのは内側の人としてはありがたいと思います。

 Q:今後の構想がありましたらお願いします。

 A:次は分からないや。出し尽くしちゃったんで。ああすれば良かったというのが何もないんですよ。入っている情報量が過剰なんで。普通の小説の3倍は入っている。それを面白く見せるということでありとあらゆる要素を投入しました。軍事的な知識だったり、着物や着付けだったり。中国語だってアラビア語だってしゃべりますよ。面白くするためには。この作品に適正な装飾の量だとは思えないんですが。一種の過剰な装飾の量だと思うんですよ。ただそれが魅力的に見えて、面白さをより引き立たせるものであればいいわけだし。

 自分でも分かっているんですよ。これが適正な量の装飾ではない、ということは。でも過剰にして次から次へと。これはどうなるの、っていうリーダビリティが大事なので。たぶん普通の本の4、5冊分の情報量は本当にあると思う。そうやって書くとね、空っぽになるんですよね。やり残したことは何もない。しばらくすると何か書きたいということができるんですよ。

 今は燃え尽き症候群です。今、本当に無理してインタビューに応じていますよ。本当に危うい。自信満々の時と違う危うさがあって。小説はライブのメディアではないので。小説が脱稿した今年1月9日には僕、快哉(かいさい)を叫んでいましたよ。でもその時には人は誰もいない。やったー、といっても聞いてくれる人はいない。小説を書いていると、燃焼する感覚があるんですよ。修辞法的に聞かれるかもしれないが、本当に自分があらゆるものを使って燃えている。感覚がすごく鋭敏なんですよね。小説の中の全てのことに対して責任が持てるという確信があるんですよ。小説以外のことでも同じ現象があるかというと全然ない。よく分からないことばかりなので。

 ああ、そうそう、7月に沖縄に行った時、一人で沖縄をぶらぶらしている時にジュンク堂那覇店に寄ったんですよ。店の前にベンチがあるじゃないですか。たばこを吸っていたら、おじさんが来て〝兄さん、具合が悪いの〟と言われたんですよ。危なかったんでしょうね。焦点があってない。危うい人に見えるらしい。だってそうだと思います。でも、そう書かずに池上永一先生は、今回も期待に応えてくれました、と書いてくれるといいと思いますよ。(おわり)
 

最初から読む「3姉妹の声、本当に聞こえるんです」

連載2回目「尖閣のこと、誰も語れない」