2019年10月31日、首里城が燃えた。午前2時35分、正殿から出火し、隣接する北殿と南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿、奉神門の7棟にも延焼した。出火して延焼するまでの経緯、一時は首里城周辺の住宅街まで迫った火の粉、明るくなってあらわになった惨状…。再建に向けて動き出している今、あの日を琉球新報の動画と写真、取材を元に改めて振り返る。
(※おことわり※このページでは首里城が燃える映像が再生されます)
(※那覇市消防提供の防犯カメラの映像や琉球新報による取材を元に製作しました)
午前3時14分
炎上、延焼
琉球新報の記者に第一報が入ったのはこの頃。
午前3時20分、自宅にいた社会部警察担当の照屋大哲が本社の販売部経由で城西販売店から連絡を受け、首里城に向かった。燃えている首里城正殿を城西小側から撮影した。
午前4時半
崩落し始める正殿
午前4時半、正殿の骨組みなどが崩落。38分には「ドン」とごう音が響く。
午前5時46分
北殿の延焼を外から確認
繁多川の高台から首里城を望んでいた男性(86)「沖縄戦を思い出す。やんばるに逃れた際、米兵が火炎放射器で家々を焼き尽くすのを見て、身動きできないほど怖かった」
「復元された首里城が燃えているのを見ると、ウチナーンチュの魂が焼かれている思いだ」。
首里城の火の粉は周辺の住宅街まで舞った。空は真っ赤に染まった
午前6時頃 日が昇り、首里城の惨状があらわに…
午前6時~6時20分
避難所開設
避難してきた女性「このまま家まで燃えてしまうんじゃないかと恐ろしかった」
目の前で崩れていく首里城を見た首里生まれ首里育ちの女性(82)は両手で顔を覆った。
「沖縄の象徴。宝だった。経済的な損失だけでなく、沖縄の心の支えを失った」
午前6時55分 激しく炎上し正殿(中央)などが焼失した首里城。隣接する北殿と南殿、書院・鎖之間、黄金御殿、二階御殿、奉神門の7棟にも延焼している(小型無人機で撮影)
午前7時頃 首里城近くの城西小学校は登校時間を午前9時に変更。
午前9時「琉球王朝祭り首里」中止決定
玉那覇美佐子理事長
「まさか首里城がこうなるとは、悪夢のようで言葉にならない。振興会として沖縄の歴史をいろんな形で再現してきた。やっと世界遺産になったのに。火災が起きてしまい、祭りの実行にいたるには難しいと判断し、中止せざるを得ない」
午前11時
鎮圧
午前11時51分 現場を視察した城間幹子那覇市長
「非常に残念だ。最終的な鎮火には至っていない。奉神門が一部焼けているので、焼け落ちるのを防いでいるところだ」
午後1時半
首里城関連7棟で鎮火
午後2時半 県が対策本部会議を開催
玉城デニー知事
「言葉に言い表すことのできない喪失感に包まれ、本当に胸が痛む思いでいっぱいだ。しかし、それと同時に琉球王国の象徴であり、歴史と文化の心に彩られた首里城を必ず復元させなければならないという強い思いもわき上がった」
「必ず復元する。復元に向けて、多くの皆さんの力をお貸しいただきたい。そのことに沖縄県は全身全霊で取り組んでいく」
午後5時 文化庁が首里城内を視察
調査官の一人
「(敷地内に所蔵する)どのような文化財が毀損しているか、元通りに戻すためにどんなお手伝いができるか見極める」
編集・ページ構成=デジタル編集・田吹遥子
グラフィック=デザイン部・相弓子