台中二中入学、寮生活送る 中島政彦さん 故郷へ帰る(17)<読者と刻む沖縄戦>


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台湾・台中州で暮らしていたころの中島政彦さん(左端)

 中島政彦さん(89)=那覇市=は1943年、台中州の国民学校を卒業し、台中第二中学校に入学します。「あこがれの学校だった」といいます。

 《まだ13歳という童顔であるが考え方は一人前である。日本人としての優越感のなせる業か、考え方は大人そのものであった。》
 台中二中は軍事教練で優秀な成績を収めていました。

 《中学校には軍事訓練のための配属将校が配置され、厳しい訓練に明け暮れた。勉強といえば毎日広い校庭に並べられ、国語や数学、歴史の一般教養科目に先んじて軍事訓練が行われた。最初の訓練は「軍人に賜はりたる勅諭」の暗唱であった。》

 「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭」(軍人勅諭)は1882年に明治天皇が陸海軍軍人に与えた「勅諭」で、「軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」などと国への忠誠を求めています。

 家が学校と離れていた中島さんは寮生活を送ります。先輩のビンタが苦痛でした。

 《これは一種の恐怖感を与え、上司への絶対服従を植え付ける以外の何ものでもなかった。

 上級生のビンタは重く、痛く感じられた。そのうち「俺も上級生になれば下級生に仕返しをしてやりたい」と誰もが思い、歯を食いしばって我慢した。それが学寮生活を送った者の本心ではなかったろうか。》