うちなーぐち話せず苦労 中島政彦さん 故郷へ帰る(25)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 斎藤 学
現在の県立首里高校

 那覇市首里大中町で暮らすようになった中島政彦さん(89)=那覇市=は首里高校に通います。校舎はテント小屋です。

 《首里ハイスクールがあることを聞き、台湾台中第二中学校3年の在学証明書を持参して編入手続きを取った。1年下級の2年生に編入させてもらった。

 学友はアメリカ兵の古着を着ていたが、童顔は残っており、すぐ友達になった。台湾帰りの私は古着を調達するあてもなく、持ち帰った中学校の制服と帽子をかぶって登校した。》

 台湾育ちの中島さんは、うちなーぐちが話せず、苦労しました。

 《友人たちは沖縄方言で楽しく話し合い、やまとぐちで話し掛けても誰も答えず、これが故郷沖縄かと情けなくなった。》
 見かねた友人がうちなーぐちを指導しました。沖縄芝居に誘われ、友人の通訳に助けられながら芝居を楽しみました。

 校舎はテントぶきからかやぶきに変わりました。かやを集めるのは生徒の仕事です。

 《鎌を片手に道路に出ると、米軍のトラックが坂を上ってくる。私たち生徒を見るとスピードを落とし、ガム、チョコレート、シガレットをまいてくれた。物資のない時代に育ち、アメリカは何でも豊富にある国だと思ったが、人が捨てたものを拾う気持ちにはなれなかった。
 しかし、欲しい気持ちには勝てず、拾い集めた。》