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那覇市首里大中町で暮らすようになった中島政彦さん(89)=那覇市=は首里高校に通います。校舎はテント小屋です。
《首里ハイスクールがあることを聞き、台湾台中第二中学校3年の在学証明書を持参して編入手続きを取った。1年下級の2年生に編入させてもらった。
学友はアメリカ兵の古着を着ていたが、童顔は残っており、すぐ友達になった。台湾帰りの私は古着を調達するあてもなく、持ち帰った中学校の制服と帽子をかぶって登校した。》
台湾育ちの中島さんは、うちなーぐちが話せず、苦労しました。
《友人たちは沖縄方言で楽しく話し合い、やまとぐちで話し掛けても誰も答えず、これが故郷沖縄かと情けなくなった。》
見かねた友人がうちなーぐちを指導しました。沖縄芝居に誘われ、友人の通訳に助けられながら芝居を楽しみました。
校舎はテントぶきからかやぶきに変わりました。かやを集めるのは生徒の仕事です。
《鎌を片手に道路に出ると、米軍のトラックが坂を上ってくる。私たち生徒を見るとスピードを落とし、ガム、チョコレート、シガレットをまいてくれた。物資のない時代に育ち、アメリカは何でも豊富にある国だと思ったが、人が捨てたものを拾う気持ちにはなれなかった。
しかし、欲しい気持ちには勝てず、拾い集めた。》