沖縄の自画像 大城立裕の生きた時代〈中〉 小説「琉球処分」


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世替わりも差別通底 首相発言で注目、新文庫本も

 2010年6月4日。記者会見でカメラのフラッシュを浴びる新首相が突然、大城立裕さんの「小説 琉球処分」を読んでいることを明かし、話題を呼んだ。発言の主は、同日に国会で首相に指名された当時の民主党・菅直人氏。米軍普天間飛行場の移設問題に触れる中で「『琉球処分』という本を読んでいる。沖縄の歴史も私なりに理解を深めていこうと思っている」と言及した。

菅直人首相(当時)が「読んでいる」と発言して注目され、改めて文庫本として刊行された「小説 琉球処分」=2011年1月、那覇市のジュンク堂書店

 大城さんが「小説 琉球処分」を書き始めたのは1959年。琉球新報社から「沖縄の廃藩置県」をテーマにした新聞連載小説の依頼を受け、執筆した。連載開始前に作者の言葉として「琉球処分」について「政治史的な面より精神史的な面で魅力を感じる。当時のひとたちがどんなことを考えながら、あの大動乱を生き抜いたのかということだ」とつづった。新聞連載は途中で打ち切られたが、68年には講談社の初版が単行本で刊行された。菅氏の発言後、改めて注目され、2010年8月に講談社文庫として全国発売された。

 政権交代前は普天間飛行場の県外移設を掲げた民主党。だが、辺野古移設に回帰し県内移設作業を強行する。大城さんは11年1月、本紙への寄稿で「第二の琉球処分という言葉が今日こそふさわしい」と断じた。

 「小説 琉球処分」は、沖縄が直面した時代の節目によく読まれてきた。日本復帰の直前、同書は当時の沖縄開発庁の役人たちに読まれたという。基地なき平和な沖縄を目指した思いとは違う形で復帰を迎えた県民の心情を理解するテキストにもなったとされる。

 琉球史に詳しい琉球大学名誉教授の高良倉吉さんは72年ごろ、琉球政府の沖縄史料編集所で所長を務めていた大城さんの下で勤務し、執筆準備段階の取材手法についても聞いた。大城さんは琉球大学の図書館で明治政府から派遣された処分官・松田道之がまとめた「琉球処分」という資料を調べた。首里城内での王府役人との会談も具体的で、琉球が日本へ組み込まれていく過程が分かる。コピー機もない時代に何度も図書館へ通い、書き写す手作業を繰り返した。

 高良さんは「基礎的作業をしっかり行い、構想を練ったと思う。琉球処分を通して沖縄と向き合ったのだろう」と指摘する。

 68年の初版本のあとがきで大城さんは「歴史を描くつもりが、現代と二重写しになる気もちをおさえることができなかった」と記した。琉球併合(琉球処分)、沖縄戦、米統治、復帰を経て今も苦難は続く。

 文庫本が出た後、2011年1月の本紙寄稿で大城さんは「沖縄での売り上げが7割と聞いた。『おだやかでないね』と眉をひそめられた時代からは変わったようであるが、ヤマトでもっと読まれてほしい」と県外へも届けたい思いを強調した。

(古堅一樹)