<書評>『海をあげる』 理不尽な日常を生きる


社会
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『海をあげる』上間陽子著 筑摩書房・1760円

 いろんな青と少しの黄色が弾む絵のカバーを捲(めく)ると、表紙の後ろ側、四辺が折り返され丁寧に糊(のり)付けされている。大切なものを包むようにしてつくられた綺麗(きれい)な本だ。

 2019年3月から翌年4月まで連載されたエッセイと、最初と最後に書きおろしが加わる。連載の1回目は、18年の暮れ、辺野古の海に土砂が投入された日の話で、「海が赤くにごった日から私は言葉を失った」後、初めて書かれた文章だ。その日の朝、著者の娘の風花ちゃんは、玄米のおにぎりが嫌だ、白いおにぎりがよかったと言ってさめざめと泣いた。大人も泣きたい。このあと起こることを、殺される海を止められない。この日の海の話は、連載部分の最後に置かれる。

 折々に登場する風花ちゃんとの会話や、やりとりされる作り話はちょっと面白くて、可愛くて、私は読みながら泣く。私たちの暮らしている社会の酷いありようが、ぐんぐん育つ子どもがそこにいることで、はっきりとわかる。

 海は埋められ、水は汚され、群れて光った蛍はいなくなったかもしれない。食べることが大好きな子どもの体に入る日常の水が汚染される。沖縄で繰り返される暮らしを奪うニュースは、立ち竦(すく)むようなものだ。

 端正な文章に折り畳まれているのは傷(いた)みで、その底には深い怒りがある。著者自身の傷み、家族の傷み、ずっと話を聞いている女の子たちの幾重にも重なる傷み。絶望の淵の傍らでその声を聞きとることが日常となった著者の営みは、美味(おい)しいごはんや家族や友だちでくるまれているけど、壮絶だ。

 「海をあげる」というタイトルを見て、最初、海を割るモーセのような、海を「上げる」と思い違いをした。黙り続けた海がついに底の奥から持ち上がる。踏みつけられてきた人たちの怒りと悲しみが、ついに海の面(おもて)を持ち上げる。それは私の誤読なのだが、それほどの怒りがそこにはある。今は読んで、ただ泣くけども、ずっとそうしているわけにはいかない。

 (上田真弓・俳優、演出家)

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 うえま・ようこ 1972年、沖縄県生まれ。琉球大教育学部研究科教授。90年代後半から2014年にかけ東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる。主な著書に『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版、2017)など。