平和願う「沖縄の心」どう伝える? 「紋切り型では届かぬ」「多様性へ理解を」 東京でシンポ


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 【東京】平和を願う「沖縄の心」を全国に発信することを目的とした「ぴーすふるシンポジウム」(県主催)が21日、東京国際フォーラムで開かれた。パネルディスカッションでは太平洋戦争の終結から75年たつ中「今日のこの日がいつか戦前になるかもしれない」と懸念の声が上がった。自由な議論や平和教育の在り方の工夫、多様性の尊重の必要性といった平和を守る方策が提起された。

ぴーすふるシンポジウムのパネル討論に登壇した(左から)若林秀樹氏、金城和希氏、普天間朝佳氏、山本章子氏=21日、東京国際フォーラム

 普天間朝佳・ひめゆり平和祈念資料館長は、戦後も沖縄で米軍関係者による事件・事故が後を絶たないとし「戦後75年、日本が平和だったとは思わない」とした。それでも国内で戦争が起きなかったのは「体験者が戦争の悲惨さを訴えてきたからだ」と強調。平和や軍備を巡る日本や周辺諸国を含む環境の変化に「体験者も危機感を持っている」と述べ、戦争体験を後世に継承する必要性を語った。

 山本章子・琉球大人文社会学部准教授は、戦争体験者が減少する中での平和学習の模索として、沖縄戦と、原爆が投下された広島・長崎、東京などにおける戦争の民衆被害をデータで比較する取り組みを学生主体で行っていることを紹介。平和を広げる上での障壁として平和教育や報道における「パターナリズム」を挙げ、「紋切り型のやり方では、情報を届けるべき世代にも届かなくなる」と訴えた。

 今年、第10回沖縄平和賞を受けたNPO法人国際協力NGOセンターの若林秀樹事務局長は、自衛隊イラク派遣などを踏まえ、戦後の75年間「日本は平和だったというが(戦争に)加担はしていた」と指摘した。これまで民間企業や労働組合、政府組織といった各機関に所属した自身の経験を振り返り「各セクターが(一見)正しい論理構成を持っている」一方で、それらの主張が過去の戦争につながっていった面があるとし「市民が立ち止まり、(方向性が)正しいか考えて発信する、一人一人の声が社会を変える原動力になる仕組みが必要だ」とした。平和の願いを広める役割を担う県の「ぴーすふるメッセンジャー」に任命されている金城和希さんは、他者との違いから争いごとが生まれていくとし「多様性の理解が平和を築く上で重要だ」と訴えた。

 司会はフリーアナウンサーの佐渡山美智子氏が務めた。