【名護】土砂投入開始から2年。条件付きで新基地を容認している辺野古区では、基地負担や補償を巡って区民の思いが交錯する。(岩切美穂)
名護市辺野古でパワーリフティングのジムを主宰する盛龍也さん(62)は1958年生まれ。59年のキャンプ・シュワブ完成を前に、親戚を頼って奄美から辺野古に移住していた両親の間に生まれた。両親は米兵相手のバー「ピンク」を経営していた。活気に沸く辺野古を見て育った盛さん。「バーが並び、ネオンが光って洋楽が流れ、米兵であふれていた」と振り返る。当時は奄美や宮古、石垣などから人々が働きに押し寄せていた。65年以降、シュワブがベトナム戦争の出撃地として使われると、米兵が次々に辺野古社交街に繰り出し、町はさらに栄えた。
一方で米軍絡みの事件も多かった。身近では、両親の店で働いていた女性が米兵に殺された。店の2階の子ども部屋に、米兵が塀を伝って侵入したこともある。高校生だった盛さんが護身用に置いていた木刀で威嚇し追い払った。「米兵のおかげで食べられたという思いはある。しかし、危険な思いもした」
昨年、刑務官を定年退職し、43年ぶりに実家で暮らし始めた盛さん。防犯のため自宅周りに柵などを設置した。「基地が完成したら事件が増えるかもしれない」と危惧する。新基地建設について「基地は無い方がいいが、米国が建設するというなら何を言っても建設される。それなら補償をもらい(容認・反対の)問題に決着を付けた方がいい」と語った。
辺野古区はこれまで繰り返し国に補償を求めてきた。2014年4月には個別補償や騒音対策など13項目を要請。個別補償については国が18年8月に実施できない旨を区に伝え、代替策の検討が続いている。
進まぬ補償に区民は不満を募らせる。行政委員でもある宮城安秀市議は「国は要請に応え、生活向上に直結する補償を考えてほしい」といら立ちをにじませる。一案として宮城市議は埋め立て地の権利を久辺3区に譲渡し、地料を支払う案を挙げ「現行法で厳しいなら法整備に前向きに取り組んでほしい」と訴えた。
古波蔵太区長は「条件付きで容認したことで、区は県民から裏切り者のように見られ耐えている。なのに補償は進まない。このままでは基地負担ばかりが押し付けられる」とため息を漏らした。