ラッパーAwichさん 亡き夫の言葉が光だった「お前の詩はいい。書き続けて」<ここから 明日へのストーリー>Awichさん編(1)


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那覇市出身のラッパー、Awich。留学先の米国で出会い、結婚した夫は2011年、銃弾に倒れ亡くなった=那覇市識名のカフェサイファー (喜瀨守昭撮影)

 2020年12月、ゴールデンタイムに全国放送された歌番組で、那覇市出身のラッパー、Awich(34)=エイウィッチ、本名・浦崎亜希子=がマイクを握った。ウチナーグチや英語、日本語を使い、歌とラップを自由に行き来するパフォーマンスを披露し、メッセージを放った。「あの日の銃の代わりに花束を」。今は注目のラッパーとして多くの番組に出演しているが、この歌詞が歌えるようになるまでは平たんな道のりではなかった。約10年前、愛する人の命を突然奪われ、失意のどん底にいた。そこからはい上がり、ステージに立ち続ける。

■「ダディーは死んだよ」

 「あんたの夫が撃たれた」―。2011年6月、東京にいたAwichは米国からかかってきた電話の内容をすぐには理解できなかった。米国で出会った黒人の夫が銃弾に倒れ、亡くなった。怒りと悲しみが交互に押し寄せた。かと思えば「大丈夫」「ちゃんと生きなきゃ」と鼓舞する自分が出てきた。自身の感情の渦に飲み込まれそうになっていた。そんな時に夫の言葉を思い出した。「おまえの詩はいい。書き続けて」

 県内の高校を卒業し、06年に渡米して大学に進学した。場所は米南部ジョージア州のアトランタ。夫との出会いは通学途中の、いわゆるナンパだった。

 誘いを断り続けたが、大学まで車で送ってくれるという彼に根負けして車に乗ると、話が弾んだ。「こいついいやつだ」。交際が始まり結婚、08年に娘を出産した。

 娘の誕生後、夫の母親がいるインディアナ州のインディアナポリスに移った。夫が娘の小さな手を取り一緒に踊る。何気ない日常が幸せだった。音楽も続けながら、インディアナポリス大学に通い、マーケティングと起業学の学士号を取得した。充実した日々の中、次のステップとして日本での活動を見据えていた。

 でも、その日は突然やってきた。夫が撃たれたと義母から連絡が入ったのは卒業間際、一時帰国し東京で就職活動をしていた時だ。夫は仲間のいさかいに巻き込まれ、銃撃された。

 「何で私たちを残して死ねるの」。殺した相手、夫をその境遇に陥れた全て、止められなかった自分―。全てに怒りが込み上げた。米国に飛んで帰ると、3歳の娘に「ダディーは死んだよ」と理解するまで何度も何度も繰り返した。

 東京で外資系企業への内定をもらっていたが、就職する気になれず、沖縄の実家に戻った。そこから苦悩の日々が続いた。

娘の鳴響美さん(右)と仲良くハグするAwichさん=那覇市識名のカフェサイファー(喜瀨守昭撮影)

■14歳デビュー「自分ラッパーやっさー」

 強烈な存在感で聴衆を引きつける那覇市出身のラッパー、Awich。子どもの頃は暗闇を怖がる繊細な心の持ち主だった。「幽霊とかおばけが怖くて、寝落ちじゃないと眠れなかった」。怖さを紛らわすため、詩や日記を書き始めた。

 ノートを開くと、その日学校であったことや勉強したことをつづった。何でそうなのか。世界はなぜこうなのか。恋愛のこと、思い浮かぶこと、自分の気持ちを文字にした。生まれて初めての鼻血もノートに付けた。中学に上がる頃には、夜は怖くなくなっていったが、言葉をつづることは習慣になっていた。その頃に出会ったのが、独特のリズムで言葉を刻む歌唱法「ラップ」だった。

 小5から米軍基地内で英語を習っていたこともあり、14歳の頃にレンタルショップで米国のラッパー、2Pac(トゥーパック)のCDを借りて聞いた。「衝撃を受けた。音が違うし、強気の自己主張がかっこよかった。私の教科書になった」。ラップは米国の黒人文化から生まれたヒップホップの一部だと知った。言葉をつづり、自らの意志を伝える。自然とラップの歌詞を書き、歌ってみた。

 「あっ。自分ラッパーやっさー」。自分に合っていると感じた。決めたら突き進む性格。会う人、会う人に「私はラッパーだ」「アイム・ラッパー」と言い張った。人が人をつなぎ、14歳で県産ヒップホップのアルバム「オリオン・ビート」に参加することになった。

 初参加の曲は今も音楽配信サービスで聞くことができる、アルバムの9曲目。客演のため、アーティスト一覧に自らの名はないが、曲の中で「Awich」と堂々と叫んだ。声は少しか細かったが、ラッパーAwichが誕生した瞬間だった。

那覇市出身のラッパー、Awich=那覇市識名のカフェサイファー(喜瀨守昭撮影)

■ブランク10年…刻んだ言葉、再び

 銃に撃たれた夫を亡くした後、幼い娘と米国から帰った故郷沖縄の日々は苦しかった。「なんで私はこんなに頑張らないといけないわけ」「私には悲しむ権利がある」。怒りと悲しみが交互に押し寄せる。激しく変化する感情に飲み込まれそうになった時、夫の言葉を思い出した。「おまえの詩はいい。書き続けて」。気持ちをノートにぶつけることで、次第に自分と向き合うことができた。書き続けて、書き続けた。

 自分の怒りや悲しみはどこから来るのか。当時のノートを読み返すと、その理由を探していたことが分かる。けれど、理由なんて結局見つからなかった。ただ、「自分の心を理解しようとすることが力になった」。

 そこから一歩ずつ前に進んだ。沖縄で会社を立ち上げ、映像制作やイベントプロデュースを手掛けた。2017年には約10年のブランクを経てアルバム「8」を国内でリリースした。全17曲のうち、「Ashes(灰)」という曲がある。娘の鳴響美(とよみ)(12)と一緒に夫の遺灰を沖縄の海に流した時のことをつづった。

 「この水に、この風に、なってください。太陽に、雲に、山に、木に。この子の髪の毛に、肌に、心に。この子が愛する力に、前へ進むために必要な全てに」
 多くの聴衆の心に突き刺さる歌詞を紡ぐAwich。アーティストとしての第2章が幕を開けた。 (敬称略)

 昨年、新型コロナウイルスが猛威を振るい、社会は暗く、沈みがちになった。2021年を迎え人々はどこへ向かうのか。逆境や困難に直面しても「ブレークスルー(壁を突破する)」し、挑戦しつづける人々のストーリーを追った。

(仲村良太)

 

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