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「ウチナーンチュだろ」失意のどん底、突き動かした父の言葉<ここから 明日へのストーリー>Awichさん編(3)


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インタビューに答えるAwichさん=2020年12月4日、那覇市識名のカフェサイファー(喜瀨守昭撮影)

 ウチナーンチュとしてのアイデンティティーを堂々と打ち出す歌手のAwich(34)=エイウィッチ、那覇市出身、本名・浦崎亜希子=は沖縄に深い尊敬や愛着を抱き、曲作りの着想を得てきた。「逆境とか苦しみの歴史があるからこそ、この地の人々はたくましいと思う。そしてミステリアスな魅力がある。そこに憧れる」。琉球王国の歴史や沖縄戦の経験、人から人へ受け継がれてきた島の記憶や言葉をかみしめ、歌詞に息吹を与える。

 「絶対にだめだ。許さない」。中学生の頃に巡ってきた初ステージは、出張先から飛行機で飛んで帰ってきた父・直行(79)に引きずり下ろされた。「せっかく友だちも呼んだのに出させて」。食い下がったが、父は首を縦に振ることなく、出張先に戻っていった。

 直行の言葉は、娘を心配する一心だった。「妻から『アッコがヒップホップやるよ』って連絡があった。あの時はギャングかやくざの世界だと思ったよ」と苦笑いして振り返る。

 しかし、父は飛行機の中で後悔していた。「おれはとんでもないことをしたかもしれん。芽をつんでしまったかもしれない」。沖縄に帰ってきた父にAwichは詩を書きためたノートを見せた。「こいつは生半可な気持ちじゃない」。父に思いは伝わった。その後は一番の応援団になった。

 高校3年の頃、沖縄市のクラブで、即興ラップの技を競うフリースタイルの大会に出ると、勝敗を判定する観客の圧倒的な支持を受けて優勝した。客席には祖父や親族を引き連れてきた父の姿があった。「サクラだよ。反則かも。めちゃくちゃ恥ずかしい」と思い出して無邪気に笑うAwich。

 そんな父は戦争を生き抜いた一人だ。

 「おれたちウチナーンチュは全員そうだからな。戦争でみんな大事な人とか、家族が死んでいる。お前だけじゃないからくよくよするな」。夫が亡くなって落ち込んでいた時、父が放った言葉が胸に刺さった。「ウチナーンチュだろ」。失意のどん底から、その言葉が背中を押してくれた。

 それから前に歩み続けたAwich。戦争を乗り越え、平和を希求し続けるウチナーンチュの一人として、楽曲には自分なりに平和への思いを乗せる。

 2020年11月、没後40年となるジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」のカバーシングルをリリースした。

 Awichは自身のYouTubeチャンネルでこの曲について「『戦争はおしまい、あなたがそう望むなら』というところが特に刺さる」と思いを語る。争いを終わりにできるか。それは「あなた」が自ら行動するかにかかっている。「自らアクト(行動)してる?」。Awichが「あなた」に問い掛けた。 

(敬称略)
(仲村良太)
 

 

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▼【2】「あの日の銃の代わりに花束を」 差別撤廃を歌で伝える