沖縄戦、32軍司令部に「特殊軍属」 留守名簿に記載 本土の女性ら動員、識者「慰安婦」と指摘


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 日本軍が芸者などを本土から沖縄に連れてきて設置した「偕行社」にいたとみられる女性らが、沖縄戦を指揮した第32軍司令部の「特殊軍属」として動員されていたことが分かった。32軍が1944年末から45年初めにかけて作成した「第32軍司令部(球第1616部隊)留守名簿」に記されているのを、沖縄大学地域研究所特別研究員の沖本富貴子さん(70)=八重瀬町=が見つけた。この「特殊軍属」について、別の沖縄戦識者は「慰安婦」「慰安所」と同じ意味とみている。

 関東学院大の林博史教授(現代史)は「軍や外務省の公文書では、いわゆる『慰安婦』を『特殊婦女』『特種婦女』『特殊慰安婦』『特種慰安婦』と呼ぶ例がいくつもある。『特殊軍属』は慰安婦のことを指していると考えて間違いないだろう」と指摘した。

 「第62師団会報綴(つづり)」(1944年12月21日)によると、偕行社は「将校や高等文官の親睦を図り、戦力を高揚する」ことを目的に設置され、宴会部屋が大小あった。沖本さんによると、これまでの沖縄戦研究では偕行社の詳細な実態は分からず、32軍司令部所属であることも明らかでなかった。偕行社に関わったとみられる氏名は14人分あった。

 32軍司令部軍医の大迫亘氏の著書によると、大迫氏が特務活動の一つとして偕行社を設置。大分県の芸者らを連れてきて、最初は当時の農業訓練所、現在の南部農林高校(豊見城市長堂)にあった。偕行社の要員はのちに首里城地下の32軍司令部壕などに移動した。

 留守名簿は、陸軍省の指示で各部隊が作成した。戦後、留守名簿を厚生労働省が保管していた。2012年度から国立公文書館に順次移管された。32軍司令部の留守名簿は1944年に作成され、1029人の将兵や軍属らの氏名なども記されている。沖本さんは17年に請求し、同年、公開を許可された。

 偕行社とみられる14人の氏名は2ページ分に記載され、名簿の右上に「特殊軍属」「特種軍属」と記されていた。1人には「偕行社附属調理人」の記載もあった。14人のうち9人が「戦死」と記されていた。留守名簿にある他の「雇員(こいん)」や「筆生(ひっせい)(事務員)」は月給も記されているが、偕行社の14人のうち8人は「軍属(無給)」と記されていた。

 沖縄戦研究者の石原昌家沖縄国際大名誉教授は「32軍司令部は、偕行社の『慰安婦』を『特殊軍属』という名称にすり替え、あげくの果ては死に追いやった。その非道な実態を浮き彫りにする史料だ」と述べた。

(中村万里子)

第32軍司令部(球第1616部隊)留守名簿の偕行社とみられる記載の一部。右上に特殊軍属とある(沖本富貴子氏提供)
留守名簿に記載された「特殊軍属」の文字(沖本富貴子氏提供)