written by 吉田健一、大嶺雅俊
女性の政界進出を阻む見えない壁はないか―。昨年6月、一人の女性政治家が悔しい思いを抱えたまま引退した。那覇市議1期、県議を通算4期務めた狩俣信子氏(79)だ。2016年の県議選に当選した直後から今期限りの引退を決め、後継者探しを開始した。当初から後継は女性と決めていた。しかし、首を縦に振る女性は現れず、9人目に断られたところで時間切れとなった。「家族が反対している」「幼い子どもがいる」「私にはできない」。理由はさまざまだが、根底にあるのは女性の政界進出を阻む「無意識の偏見」だと感じている。
社会にはびこる「呪縛」
28年の教員生活、県男女共同参画センター「てぃるる」初代館長を経て政治家に転身した狩俣氏にとって「女性の地位向上」は政治活動の原点で、「政策の決定の場に女性を増やす」ことをライフワークにしてきた。学校現場や行政など、さまざまな場面で「女性の視点」が足りないと感じていた。しかし、今の政界、ひいては日本社会にはいまだ「家父長制の呪縛」が残っていると感じている。「男性だったら『家族の反対』も『子育て』も政治家を諦める理由にならない。しかし、女性はそれが大きな壁となる」
「せめて夫が賛成してくれれば」。狩俣氏が後継候補の大本命と考えていた元大学教員の60代女性は、狩俣氏の頼みを断った理由について「家族の反対」を第一の理由に挙げた。女性と狩俣氏は家族ぐるみの付き合いで、家族全員が狩俣後援会に入っている。この女性は日頃から新聞投稿などで政治に対する考えなどを発信してきた。そのため、狩俣氏も彼女に期待した。2年以上かけて説得を試みた。しかし結果は「ノー」だった。
狩俣氏から19年11月ごろ後継の打診を受けた大学の非常勤講師などを務める30代女性は3人の子どもの子育て真っただ中。友人と集まると、待機児童問題や今後のキャリア形成など生活の話題が中心になる。今の政治について「本気で子育てした政治家がいないから話が通じない」と不満を漏らす。
解消されない待機児童問題に高い非正規雇用率、休業制度が整っていない会社。政治家に求めることは多い。よりよい環境をつくるためにも一人でも多くの女性政治家を増やすべきだと考えるが、政治家になるのは「自分ではない」。1カ月真剣に悩んだ末の結論だった。
夫の元にかかってきた中傷の電話
一方、先島初の女性県議を務め、12年に引退した辻野ヒロ子氏(76)は現職時代、保守系では唯一の女性議員だったこともあり、女性の市町村議会議員に、県議にならないかと声を掛けたこともある。だが答えは厳しかった。詮索できなかったが、「家庭が大きかったのかな」と感じている。
石垣市議選に初出馬した時、自身も壁に直面した。「女に何ができるのか」との言葉は当然のように浴びせられ、自宅の庭に猫の死骸やガラスの破片が投げ込まれるいやがらせも受けた。「あんたの妻は選挙運動しているんじゃない、浮気して歩いているんだよ」。波照間島に赴任していた夫(故人)の元にも中傷の電話がかかってきた。「夫には申し訳ない気持ちでいっぱいになった」と振り返る。
自身の夫は「頼まれたことは断らない方がいいよ。今がチャンスなんだから」と出馬を後押しし、政治活動を支え続けてくれた。
変わるべきは「男は外、女は中」 女性政治家を増やすために必要なこと<「女性力」の現実 政治と行政の今②>に続く
日本で女性が参政権を得て75年が経過した今も女性の政治参画は進まない。日本は、男女格差を示す2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」で153国中121位と過去最低を記録した。女性の政界進出を阻む見えない壁はないか。議員らの体験を通じて政治の現実を検証する。
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