シーサーに込めた「忘れない」伊是名島から壺屋、そして福島へ 故郷の模合が縁結ぶ


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福島に送ったシーサーの“きょうだい”を紹介する高江洲忠さん=8日、那覇市壺屋の育陶園やちむん道場

 東日本大震災で地震、津波、原発事故の被害を受けた福島県富岡町に、壺屋焼のシーサーが設置された展望台が建てられる。伊是名村出身の名嘉幸照さん(79)が長女・近藤ゆうなさん(50)、長男・陽一郎さん(45)らと計画を進める。福島に送られたシーサーには故郷伊是名の出身者や友人の復興への願いも込められた。

 シーサーは30~40年前、那覇市壺屋でやちむんを作ってきた「育陶園」の5代目で、現代の名工として知られる故・高江洲育男さんが顔などを手掛け、息子の6代目、伝統工芸士の忠さん(69)が胴体などを作った。高さ約50センチ。典型的な壺屋焼のシーサーで、眉間に「王」の字があるのが特徴だという。

 同じ時期に焼かれたシーサーの“きょうだい”と一緒に、育陶園やちむん道場に大切に置かれていた。売り物ではなかったが、伊是名出身者らの模合「アハラ会」のつながりで、懇意にしている名嘉さんのために安価で提供した。忠さんは「あのシーサーは名嘉さんに似ている」と笑う。

 アハラ会の会長は忠さんの中学の後輩、前田睦己さん(68)=前田鶏卵社長。忠さんは前田さんと仲が良かったことから会設立時から参加していた。メンバーには伊是名出身の木版画家の名嘉睦稔さんや経済界関係者が名を連ねる。

 会は震災後、名嘉幸照さんが会長を務める東北エンタープライズが発刊した、記録誌「3・11 私たちは忘れない 震災のかたりべ」の出版祝賀パーティーを開催した。前田さんは個人的に被災地への寄付や避難者に仕事を紹介するなど、地道に支援を続けてきた。富岡町にシーサーが設置されることに、忠さんと前田さんは「いつか見に行きたい」と声をそろえた。
 (仲村良太)