組踊「万歳敵討」より謝名の子
戦前・戦後を代表する実演家の一人、初代・宮城能造(1906~89年)最後の弟子。4歳で能造に師事した当時「ナチブサー(泣き虫)」だった少年は、芥川賞作家の故・大城立裕が「作劇、演出にも傑出する」と記すほど多才な実演家に成長した。
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これまでディズニー作品に着想を得た新作組踊や、伝統組踊の後日譚(たん)を描いた喜劇など数多くを創作し、大城作品の演出も任された。沖縄芝居でも二枚目から三枚目まで、幅広く演じる。
組踊の舞台では、伝統を重んじ、先師・先達が継いできた技の表現に尽くす。
(写真撮影・大城洋平)
演目と写真説明 組踊「万歳敵討」(田里朝直作、1756年初演)。謝名の子と慶雲兄弟が力を合わせて、父の敵の高平良御鎖を討つ物語。兄弟は正体を隠すため京太郎(旅芸人の一種)に身をやつし、宴を楽しむ高平良御鎖に近づく。約35分という組踊作品の中でも目立って短い上映時間で、テンポ良く物語りが進むため組踊初心者でも見やすい作品。琉球古典舞踊二才踊の最高峰「高平良万歳」も同組踊から誕生した。写真は、踊りながらも重ねた手の下から高平良御鎖の隙をうかがう謝名の子。舞台では慶雲と共に2人一緒に踊られる。
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かかず・みちひこ 1979年那覇市生まれ。83年に初代宮城能造に師事し、能造没後は宮城能里に師事。琉球芸能の実演家の活動のほか、脚本、演出も手掛ける。2013年から国立劇場おきなわ芸術監督。18年に第39回松尾芸能賞舞踊部門の新人賞。20年に琉球新報活動賞。