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シングルマザー、ダブルワークで帰宅は深夜…当事者として議場に<「女性力」の現実 政治と行政の今>12


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「自分の良いところを見つけて、引き出して」と話す上地寿賀子氏=1月22日、那覇市泉崎の琉球新報社

written by 比嘉璃子

 南城市の上地寿賀子氏(46)は2014年の市議選で初当選し、2期目を務める。議場に立つ姿を見た知人からは「キラキラしているね」と言われるが、「大学に進学しなかったことが、今もコンプレックスだ」と話す。

 「子どもの頃から早く自立して家を出たかった」。資格を取って早く自立するため、商業高校に入学した。大学進学は念頭になく、卒業後はアルバイトをし、20歳で出産、26歳で離婚した。

 20代後半は大里村役場や同村社会福祉協議会で非常勤職員として働いた。当時の手取りは約11万円。家計は厳しく、お米を食べることに困ることもあった。収入に限りがあるならステップアップしてみたいと、営業の仕事に飛び込んだ。週末は居酒屋や結婚式場でアルバイトもした。

 息子が中学1年の時、せがまれてハムスターを買ってあげた。「これでお母さんがいなくても寂しくない」。息子がつぶやいた一言が、胸に突き刺さった。ダブルワークで帰宅は夜11時ごろ。息子は1人で留守番することが多かったが、普段は寂しいと口にしなかった。「寂しい思いをさせてしまった」と、当時を思い返して目を潤ませた。

 35歳からは県母子寡婦福祉連合会に勤め、ひとり親の資格取得講座を担当し、就職支援にも携わった。反抗的だった受講者が、資格を取得して仕事が見つかると、心が穏やかになった。「経済的に苦しいと、毎日精いっぱいで、親の精神的な負担が子どもにも直接掛かる」。そんな「負の連鎖」を断ち切りたいと思うようになった。

 当時は「子どもの貧困」という言葉はなく、ひとり親支援を託せる人もいなかった。支援を通して「当事者の自分が議場で訴えた方が説得力がある」と強く思うようになり、14年9月の市議選に出馬した。

 父は「離婚して、シングルマザーになって選挙に出て、また心配を掛けるのか」と怒った。出馬に大反対の両親から協力は得られず、選挙資金は叔母から200万円を借りた。落選時の資金返済や生活などリスクは大きかったが、「シングルマザーで地盤がなく、資金がなくてもやればできる」と、認められたかった。

 「負の連鎖を断ち切るのは無理だよ」。有権者から心ない言葉を掛けられ、悔しくて一人で涙を流すこともあった。そんな時、同じ境遇のシングルマザーたちから「最後まで応援するからね」と声を掛けられた。自分に託してくれる人たちがいると思うと、心強かった。

 初めての選挙は手探りだったが、親戚や友人のボランティアに支えられた。ひとり親世帯の環境を良くしたいと思う気持ちが連帯感を生み、「チームワークはどこよりもあった」と話す。一方、事務所の家賃やポスターなどの印刷物に費用がかさみ、選挙資金は約40万円不足した。借金は3年かけて返済したが「当選してからの生活は大変だった」と振り返った。

 若くしてシングルマザーとなり、「お金もなく、生活にゆとりがなく、自信もなかった」と語る。同級生が良い仕事に就いていたり、夫婦そろって仲良くしたりしているのを見ると、劣等感を抱いた。周りから「できない」と評価されるのが怖くて無理することも多かった。

 今も劣等感はあるが、「やりがいがあるし、やりたいことができる。今が一番充実している」と目を輝かせる。「人は皆それぞれ良いところがある。自信を持ってやりたいことにチャレンジしてほしい」。シングルマザーの自己肯定感を高める活動に取り組む考えだ。


 世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。報道へのご意見やご感想のメールは、seijibu@ryukyushimpo.co.jpまで。ファクスは098(865)5174。

 

 

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