沖縄にも巨大津波の痕跡が 千年先まで見据え防災模索を 仲座栄三・琉大工学部教授<つながる・備える―東日本大震災10年>2


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宮古島東平安名崎に打ち上げられた津波石=2020年(著者撮影)

 物理学者寺田寅彦は、「猫は鉄砲で脅してもしばらくするとまた村にあらわれる」といい、「天災は忘れた頃にやってくる」と防災教訓を伝えている。しかし、我々は猫ではない、本質を捉え、備え、それを未来永劫(みらいえいごう)に伝える術を持つ。物理学者寺田寅彦の言葉は、そこまで悟る人類の英知に訴えているに違いない。

古文書と津波石

 今年は、明和大津波の発生年(1771年)からちょうど250年目に当たり、そして2011年の東北地方大津波災害からちょうど10年の節目に当たる。

 200年にもわたって歴史に埋もれていた古文書を発掘し、風化に耐え抜いて大津波の様を現し続けていた巨大な岩塊を「津波石」として命名し、現代の言葉をもって大津波の様と惨状を立体的かつ体系的にまとめ上げたのは、石垣島の郷土史家牧野清氏であり、その尽力は著書『八重山の明和大津波(初版:1968年、改定版:1981年)』に見られる。

 牧野氏は、そのことについて「運命と言えるが、奇跡ではなく、渾身(こんしん)のそして執念の作である」と語っている。それは防災工学や海岸工学など専門的な立場からみても無二の体系的資料と評価されよう。古文書と並べて教科書などに記すとともに、重要文化財としての指定保存が早急に求められる。

「島を横断」説も

 沖縄地方に来る大津波とはどのようなものか? これに答えるには、沖縄地方にこれまで現れた巨大津波の実態を知る必要がある。石垣島の大浜村の一角に、高さ7メートル、胴回り40メートルほどの大きな岩塊がある。これに名前がないことに驚き、牧野氏はこれに「津波大石(つなみうふいし)」と命名し、それが明和大津波によるものと判断した。

 宮古島の北西ほどにある下地島の標高約10メートルの位置にも、高さ12メートル、胴回り60メートルほどの巨大な岩が打ち上げられている。これは「帯大岩」と呼ばれている。これらを目にした専門家らは、「これほどの規模の巨石はいかような津波でも動くものではない」と当初判断した。このような専門家による初見が、大津波の発生に関するその後の見解に大きな影響を及ぼすこととなった。

 また、同時にこのことは、津波石のすべてを明和津波によると判断していた牧野氏の見解と激しくぶつかった。しかし、専門家らは、後に、それらが津波によるものと認め、さらに明和津波以前にも多数回の大津波の発生があったとする判断に変わった。こうした巨大津波多数回発生説に対して、牧野氏は、「根拠のない、又価値もない典型的机上の空論」と強く反論した。

 付着サンゴ化石の年代分析結果は、2000年前ほどに明和津波を上回る規模の巨大津波が発生したことを推測させ、さらに250年あるいは500年に1度ほどの繰り返しで大津波の発生を推測させるものであった。また、「大浜の津波大石のことは、明和津波を伝える古文書には何ら記されていない」こうした歴史家らの判断は、明和津波以前にこの巨石を移動させた巨大津波の発生をいやがおうにも想像させた。その結果、牧野氏の命名による大浜の津波大石は、皮肉にも明和津波以前の巨大津波の存在を語るシンボル的な存在と化した。

 しかしながら、最近の研究によって、沖縄先島地方に散在する巨大津波石が明和津波起源であることが分かるようになり、さらに発掘調査結果からは、当時ではダイヤモンドにも匹敵する貴重なカムィヤキを添えられた謎の少女の人骨の存在が、解明の鍵を与えた。

 さらに、これまで古文書に記録されていないと解されてきたあの大浜の津波大石に関する歴史家らの見解を覆す発見もあった。明和津波関連古文書は、しっかりと記していた。

 古文書の欠損的な部分を歴史家らは「何という字が書いてあるか」の観点で分析していた。対して筆者は、「何という字が書いてなければならないか」の観点から分析した。「悪石」とまで呼ばれた大浜の津波大石は「聖なる石」へと転じた。数々の科学的証拠は、牧野氏の見解に正しさがあることを後押している。沖縄先島地方に残された巨大津波の痕跡は「明和大津波の唯一説」を語っている。

 古文書はさらに、「津波の遡上高さを、最大85メートル(二十八丈二尺)」と記している。牧野氏は、この数値を肯定的に扱い、伝承にも照らして、「津波は島を横断した」とも推測している。これらの検証は現代の科学をもってしてもいまだ困難なことであるが、先人の残した「津波遡上の教訓数値」として、そして「島横断津波の教訓」として、それらは語り継がれるべきものと考えている。

陸側への移転も

 こうした巨大津波の来襲にどう対応していくべきか? 東北の地元紙は最近、「沿岸に張り巡らされた新設の巨大堤防が村の風景を変え、故郷は失われた」と伝えている。研究室では、防潮林の効果、構造物による効果などさまざまな防災対策が繰り返し検討されている。

 しかし、いかような策をもってしても巨大津波への対応は容易なことではない。今後の防災対策を考える上で重要なことは、これからの少子高齢化社会への対応でありかつ、歩くのが術の時代に比べ、日常的に我々は便利な現代技術に囲まれていることの考慮であろう。数千年に1度の巨大津波に対応する策、沿岸から徐々に撤退し、到来する社会構造に対応できるような未来社会の創造も選択肢の一つといえる。

 すなわち、巨大津波が千年に一度の頻度なら、そうした長期的未来を見据えて、できるだけ陸側に日常的生活空間を創造しそこから沿岸を観光資源として保全し活用する策や少子高齢化で過疎化の進む沿岸の村や町などを集約した形(コンパクトシティなどとして)に陸側へ移転することなども選択肢と言えよう。

仲座 栄三

仲座 栄三

 なかざ・えいぞう 1958年生まれ。宮古島市出身。琉球大学工学部教授。専門は防災工学、海岸工学。2002年から03年にハワイ東西研究センター客員研究員。琉球大学の副学長や付属図書館長なども歴任。