「修理すれば住めた」のに…被災調査、苦い経験の先に…建築士の高橋さん<刻む10年 沖縄から、被災地から>7


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地域の復興に奔走し続ける、読谷村出身の高橋晃さん(前列右から2人目)と家族=2日、岩手県宮古市

 2011年4月、岩手県宮古市。スプレーで「解体OK」と書かれた家々を見た読谷村出身の建築士、高橋晃さん(61)=宮古市在住=は「何のための調査だったんだ…」と肩を落とした。晃さんは被災した建物の、倒壊の危険性を調べる応急危険度判定士の資格を持つ。当時は津波被害の判定基準はなかったが、避難者に早く自宅に戻ってもらおうと建築士会のメンバーと一緒に、家の再建が可能かどうかを判定する調査をボランティアで引き受けた。

 調査は震災直後に開始し、2~3カ月程度続けた。担当したのは宮古市から隣の山田町まで、調査の申し出があった約40軒。補償金だけで家を新しく建て直すことは難しい上、宅地造成にも時間がかかる。調査した家の持ち主には「修復すれば住むことができる」と説明した。

 だが当時、住民が希望すれば、被害を受けた家を市が無償で解体していた。家を残すと費用がかかるほか、津波で流れてきた土砂の中にさまざまな菌が混じっているという、うわさも回り始め、解体希望者が増えていった。結果、晃さんが再建可能と判定した全ての家が取り壊された。

 震災からしばらくして、解体しなければよかったという声を聞くようになった。被害を受けた家でも、修理をすれば再び住むことができた。別の場所に新しく家を建てて、二重のローンを背負う人もいたという。新築した家が大型台風の被害を受けたケースも耳にした。建設業を通して生活再建に苦しむ人々の姿を目の当たりにした。「津波に台風、新型コロナと三重苦をかぶり、大変な思いをしている人がいる」と心境をおもんぱかる。

 晃さんは宮古市内の高台で仕事をしている時に震災に遭った。自宅は無事だったが、山田町の保育園で働く息子拓也さん(35)との連絡が一時、不通になった。

 拓也さんの妻美香子さん(35)は妊娠8カ月だった。翌日、拓也さんの無事を確認した。当時、美香子さんのおなかにいた長女結菜(ゆいな)ちゃんは9歳になった。次女千愛(ちかな)ちゃん(8)は愛されるキャラクターで、皆に優しくできる子に育っている。

 子や孫に囲まれ「みんなに会うのが今の楽しみだよ」と目を細める晃さんと、妻の百合子さん(60)。晃さんの次女奈那さん(29)の娘柚奈ちゃん(1)がよちよちと愛らしく歩き回る様子に、一家は笑顔に包まれた。

 晃さんは昨年、防災士の資格を取得した。「過去の自然災害の歴史を繰り返さないよう、常日頃から対策を考える」。災害から人々の暮らしを守るため、地域の課題解決に奔走する姿があった。
 (関口琴乃)

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