災害時に障がい者の命を守るには 体験者の言葉から得たヒント<つながる・備える―東日本大震災10年>4


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ

 2011年3月11日、皆さんはどのように過ごしていただろうか?

 私はその時、宜野湾市にある職場の事務所にいた。友人から「すぐにテレビをつけて! 大変なことになっている!」と電話があり、テレビをつけると、東北沖で巨大な地震があったことを知った。

障がいのある人もない人も一緒に東日本大震災の被災地の岩手県宮古市田老地区から陸前高田市の奇跡の一本松までを歩いた「みちのくTRY」の参加者ら。筆者も参加した=2012年8月(筆者提供)

 

津波警報発令

 津波警報が日本全体の太平洋岸に発令され、瞬く間に、これまでに見たこともない津波が街も田んぼも道路も逃げる車もありとあらゆるものを飲み込んでいく様子が映し出された。仙台の実家に電話したが、全くつながらない。

 

 事務所が海沿いにあるため、全員避難することになった。私は停電に備え、発電機用のガソリンを補充しに近くのスタンドに向かった。「津波が来るかもしれないからすぐ避難したほうが良い」と店員に伝えたがきょとんとしていた。

 

 いっしょに避難した人のほとんどは重度の障害があった。事務所の車をフル稼働させ、福祉避難所に指定されていた赤道の老人福祉センターに皆で避難した。海の近くに住んでいる呼吸器を使う仲間も迎えた。避難所には普段から通っている老人会の人たちはいたが、実際避難をしに来ていたのは私たち団体のメンバーだけだった。その後残った十数人とともに、私は当時生まれて50日足らずの娘を含めて家族で避難した。テレビからは刻々と深刻な状況が流れた。

 

 夜、畳の上に皆で寝たが肌寒かった。停電はせず、過密な状態でもなく、水道もトイレも使え、買い物もできたが、それでもいつもと違う環境にきつさを感じた。人工呼吸器をつけている人も含め障害のある人にとってはなおさらのことであろう。その後、津波警報が解除されるのを待っておのおの家に帰った。

 

環境整備が不可欠

 今回の原稿依頼を受け、当時ネットやメディアや各団体が発信した情報を見返した。その中で被災者の極限での体験を語る言葉に、今を生きる私たちが災害と対峙(たいじ)するための多くのヒントがあると感じた。

 

 災害を語る時、「自助」という言葉がささやかれることが多い。確かにその時になれば、そこにいる者が考え、行動を選択しなければならない。しかし自助の前提には環境整備が不可欠であり、それは事前にかなりの割合でできることである。

 

 その視点でここでは以下四つの段階において述べる。

 

 一つ目は初動で命を守れるか。震災時の障害のある人の死亡率が障害のない人の2倍、宮城県に限れば4倍だったという数値があらわすように、障害のある人、高齢者が自宅に取り残され命を落とす事例が多発した。

 

 私たちが参加した津波避難訓練でも、津波避難ビルに指定されていた団地に、震災時エレベーターが使えないので階段で避難したが、車いすを運ぶためのスペースがなく、車いすは捨て、二人で交互に一人の人を運ぶという大変危険な避難になった。

 

 二つ目は震災直後の避難生活において、障害のある人の困難はあらゆる点で拡大する。物資・医療体制・暑さ、寒さ対策・電気、水道、ガス、ガソリン等ライフライン・人的資源(支援者も被災者)・バリアフリー・障害特性に応じた対応・プライベートな空間・感染症対策、そのどれが欠けても障害のある人を含めた市民の避難生活は成り立たない。避難所に指定されているインフラを障害当事者の目も入れて点検と改善をしなければならない。

 

 三つ目は支援を必要とする障害のある人の把握について。普段障害福祉サービスにつながっている人の安否確認、ニーズ把握の連絡体制は取れているか。災害時要援護者、個別避難計画の策定がどこまで進んでいるか、その実効性はあるかをモニタリングし、支援につながっていない障害のある人の掘り起こしについても実効性のある方策を立てる必要がある。また個人情報保護の壁も命を守るための災害時特例をどこまで認め、支援団体に障害のある人の情報を提供するか、自治体は事前に決めておかなければならない。震災時にも情報提供が遅れ、多くの被災障害者に支援が届かないという事が起きた。支援が必要な人ほどその実態が見えにくい現実がある。

 

 四つ目に被災障害者への支援として、行政は各福祉サービスの継続、拡充、事業所への支援、必要物資の供給等を行い、障害者団体は県外団体との連携、社協、災害NPO等との連携を行いながら災害ボランティアとつないでいく作業、そこで掘り起こされたニーズについては行政へ要請していくという動きが必要になってくる。震災以降の大きな災害においても現地に障害者救援本部が設置され、これらの役目を果たしてきた。

 

普段の関わり

 災害対策、というと、有事の特別な対応のように感じてしまうが、多くの災害現場において真価を発揮してきたのは、普段から地域の様々な人がお互いに関わりを持っているか、障害のある人も含め誰もが住みやすい街になっているか、という事である。障害のある人が普段から対峙している社会的障壁(バリア)をより際立たせ、一般の人にも降りかかるのが災害だからである。そのため教育現場におけるインクルーシブ(必要な環境上の工夫をし、障害のある人とない人が分け隔てなく共に学ぶ)教育は社会的障壁について考え、それをなくすとても有効な災害対策であるといえよう。

 

 震災から10年、いまだ震災は終わってはいない。


 

早坂佳之さん

 はやさか・よしゆき 宮城県仙台市出身。大学進学を機に沖縄へ。学生時代に自立生活センターの介助者となり、卒業後はスタッフとして働く。2008年「障がいのある人もない人もいのち輝く条例づくりの会」事務局員になり、2014年に施行された「県共生社会条例」の制定に関わる。