寄り添いこれからも 気仙沼の子どもたちにマフラー贈り続けて10年 渡嘉敷の新垣さん


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ

 【渡嘉敷】「あの映像が忘れられない」。10年前の3月11日午後2時46分を1日も忘れないようにしたいと話すのは、「気仙沼にマフラーをおくる会」の代表を務める新垣光枝さん(72)=渡嘉敷村。東日本大震災に見舞われた年の2011年の冬から毎年、宮城県気仙沼市の子どもたちに手編みのマフラーを贈り続けている。新垣さんが個人で始めた活動が県内外に有志の輪を広げ、これまで2302枚を贈り、10年の節目を迎えた。

手編みのマフラーを贈るきっかけとなった自作の絵本「うにぎらまとあはれんびんちぃ」を手にする新垣光枝さん=那覇市内

 東日本大震災の被災地の様子をテレビで見た新垣さんは、「驚愕(きょうがく)した」と当時の心境を語る。震災直後は渡嘉敷村内で義援金を募り寄付した。他に何かできることはないかと模索する中でその年の秋、友人を介して気仙沼市内の保育園に自作の絵本「うにぎらまとあはれんびんちぃ」を贈った。

 これがきっかけで冬には手編みのマフラー80枚を贈った。その活動が報道されると全国から「一緒にマフラーを贈りたい」という声が届いた。翌年、マフラーとサーターアンダーギーを持参し気仙沼市内の保育園や幼稚園、小学校を夫と訪れ、歌三線や三板を奏でてカチャーシーなどで沖縄の文化も伝えた。

 14年に「気仙沼にマフラーをおくる会」を発足。毛糸の寄贈や90歳を超えた人の協力など地道な活動が共感を呼び、これまで延べ約60人が手編みのマフラーを贈った。

 10年の節目に当たる今季、会のメンバーは現地を訪れる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でかなわなかった。あの日のことを忘れてはいけないと毎日、震災が起きた時刻の午後2時46分にアラームをセットしている新垣さん。「いつまでもあの時の気持ちを忘れずにメンバーと共に寄り添っていきたい」と語った。
 (中川廣江通信員)