「練習量では、どこにも負けない」
沖縄水産、興南両チームのどの選手も同じ言葉を口にする。「毎日、まだやるのかと思うぐらいやった」「(きつい練習を)あれだけやったのだから、負けるはずがない」。優秀な選手が両校に集い、甲子園出場を果たすため過酷な練習の毎日。その練習で心身ともに培われた「やるだけやった」との自信。両チームの強さの秘密でもあった。
1986年7月21日、午後2時6分。気温31度の蒸し暑い真夏日に、第68回全国高校野球選手権沖縄大会の決勝が奥武山野球場で始まった。台風の影響で日程が1日延びた月曜日の試合にもかかわらず、内野スタンドが満席になるほどの熱気を帯びていた。
「2強時代」と言われ、4年連続の決勝となった沖水―興南。これまで強打でぶつかり合う打撃戦の多かった両校の対戦は、1点を争う投手戦となる。
沖水は春の選抜にも出場し、今大会も優勝候補の筆頭。昨夏、1年生ながら甲子園のマウンドを踏み、“サヨナラ暴投”で一躍注目を浴びた2年生の上原晃がエース。決勝までの4試合、140キロ台の快速球で三振43、四死球5、失点3と抜群の安定感を持つ投手に成長していた。自慢の強力打線もここまで22得点。投打ともに充実の沖水は、まさに”横綱相撲”で勝ち上がってきた。
興南は右本格派の比嘉雄大、友利結、左の西岡洋、下手投げの嘉陽拓と豊富な投手陣と、打線は小粒ながら昨年からの主軸、名幸一明主将を中心に100メートル11秒台が6人の機動力野球で勝ち上がる。1回戦で延長十三回の熱戦の末、与勝に競り勝つと、準々決勝の八重山戦は九回裏二死からの逆転サヨナラ勝ち。競り合いに強い“逆転の興南”は、この年も健在だった。
新チームになってから両校の対戦成績は、新人戦は興南、秋季大会は沖水が制し一勝一敗。互いに手の内を隠すように練習試合もしなかった両校にとって、この日が決戦の時だった。
沖水は初回、興南のエース比嘉の立ち上がりを攻め、ヒットに相手失策を絡めて二死二塁。ここで4番吉永靖がしぶとく三遊間を破り、1点を先制する。三回には一死一、三塁から併殺崩れで2点目が入った。
興南は四回裏、先頭の2番稲福伸が俊足を生かしてバントヒットを決めると、送りバント、相手失策で一死一、三塁。続く5番大城淳の一塁ゴロの間に、稲福が判断良く本塁に生還。興南は、得意の“足攻”で1点を返した。
スコアは2―1の沖水リードとなるが、投手の自責点は比嘉が1で、上原は0。序盤、決勝戦独特の雰囲気からか両校ともミスで失点したが、両エースは上々の滑り出しだった。
だが四回、興南の比屋根吉信監督は“予定通り”マウンドの比嘉に交代を告げ、嘉陽を送った。比屋根監督は「決勝は比嘉、嘉陽、友利の順でいく。もし延長になったら西岡だ」と事前に投手陣に話していた。
この下手投げの技巧派、嘉陽が試合後、沖水の栽弘義監督に「今大会で最高のピッチング。さんざん苦しめられた」とうならせる投球を見せることとなる。
沖水・上原、興南・嘉陽の緊迫した投手戦は、ここから始まった。
(敬称略)
▼<白球の軌跡・下に続く>嘉陽「とにかくつなぐ」快投乱麻、上原も譲らず
2005年の連載を再掲載しています。