【識者談話】米軍「費用面で解決なら辺野古も」片隅に? 普天間危険性も意識 野添文彬・沖国大准教授


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野添文彬・沖国大准教授

 名護市辺野古での米海兵隊飛行場建設計画について、これまでの研究で1960年代後半には消えたことが分かっており、ベトナム戦争で米国の財政状況が悪化したことが影響したと言われている。そうした研究の説明と一致する。ただ、80年のマスタープランに書いているということは、この計画を諦め切れていなかったのではないか。

 普天間飛行場の代替として嘉手納統合や辺野古移設は90年代に本格的に検討されることになる。80年の段階でこれらの話が出ていることは興味深い。嘉手納統合は駐機場が不足していることなど欠点が書かれている。他方、辺野古移設案は費用面で見送られたと記されているが、逆に言えば、費用の問題が解決されたら造ってもいいという判断につながった可能性がある。

 海兵隊がずっと辺野古新基地建設を狙っていたとまでは言えないが、普天間飛行場代替の一つの案として60年代以降も頭の片隅に置いていたのかもしれない。

 特に興味深いのは、基地が住宅地に近いという危険性や騒音について記されていたことだ。普天間飛行場は60年代まではそれほど使われていなかった。厚木基地(神奈川県)やハンビー飛行場(北谷町)からヘリ部隊が移ってきたことで、70年代になって運用が激しくなった。それを受けて米軍内部でも危険性や住民との摩擦を意識していたことがよく分かる記述だ。

 一方、92年のマスタープランでは施設の老朽化に焦点が当たり、地元への影響についてそれほど記述されなくなっている。 

 (国際政治学)