♪白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は♪
2019年7月、ハンセン病隔離政策を巡って熊本地裁が当事者家族への差別被害を認め、国に損害賠償を命じた判決から数日後の国会内。原告らの集会で県内の60代女性は、判決を受けて思い出したという、米統治下の小学校時代に習った「日の丸の歌」を口ずさんだ。
判決はハンセン病の回復者のみならずその家族の被害も認定した点で「画期的」と評されたが、米統治下にあった72年までの沖縄の隔離政策について、国の責任を認めなかった。当時の沖縄は日本政府の行政権が停止され、関与できない状況にあったというがその理由だった。
米統治下、県内の療養所で生まれた女性は1歳を過ぎて祖母に預けられた。周囲のいじめに遭い差別を受けたが、一番つらいのは両親に会えないことだった。女性は集会で「米統治下でも、日本人として教育を受けてきた。何で沖縄だけこんなに差別されるんだろうか」と訴えた。
01年に国のハンセン病強制隔離政策を憲法違反と断じた熊本地裁判決でも、沖縄の原告に対する賠償は復帰後に限定され、日本本土と線引きされた。復帰前の沖縄では琉球政府が「ハンセン氏病予防法」を施行し、退所や在宅治療の規定があった。
「沖縄では隔離しっぱなしでなかったということだが、社会に出ても偏見や差別はひどかった。結局、療養施設に戻らざるを得ない事情もあった」
宮古南静園(宮古島市)の退所者の会代表の知念正勝さん(87)は、復帰前の様子をそう振り返る。
01年、19年の判決ともに国は控訴を断念し、おわびの首相談話を発表。その後成立した補償法では、復帰前の沖縄についても対象に加えることが決まった。
01年の違憲判決から今月で20年。知念さんは「法律が整備されたことで社会復帰者は増えた。ただ、家族訴訟でも多くが匿名の原告番号でしか名乗れなかったように、偏見や差別の解消は道半ばどころか、よくてもスタートラインに立ったばかりだ」と話す。
近年、高齢化で体力低下や孤独を感じた元入所者が施設に戻る例があるという。多くが施設療養のほうが気楽に体調の相談ができると感じており、入所者の高齢化が進んでいる。
知念さんは「偏見や差別をなくすには、かつての強制隔離を上回る国の力が必要だ。ハンセン病だけが『元患者』と言われる。なぜいつまでも『元』がついて回るのか」と問い掛けた。
(當山幸都)