「鎮魂の場を守って」 糸満の畑から遺骨、平和への思い貫く 南部土砂採掘に反対 當間進一さん(79)


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遺骨が出たときの状況について語る當間進一さん。後方の丘陵の中に當間さんの畑がある=9日、糸満市山城

 沖縄戦跡国定公園内にある糸満市米須の土砂採掘計画に関して、米須の隣にある集落の山城城跡に畑を持つ當間進一さん(79)=那覇市=は、戦後40年以上たっても畑から日本兵の遺骨やジーファー(かんざし)が出てくるのを目の当たりにした。當間さんは「ここ一帯は凄惨(せいさん)な戦場となり、おびただしい血が流された。鎮魂の場として守られるべき場所だ」と語り、土砂採掘に反対する。

 當間さんの畑は母から受け継いだもので、土砂採掘計画がある米須の傾斜地から約1キロの山城城跡の中にある。沖縄戦の時、當間さんは4歳。父は防衛隊に召集されて亡くなり、母は戦後、女手一つで息子たちを育て、軍作業でためたお金で1984年に山城に土地を購入した。當間さんは開墾と畑を手伝い、野菜を作って農連市場に卸してきた。

 當間さんは以前、生い茂る木々を開墾しようとした時、くぼみにある遺骨に気づいた。体は土に埋まり、頭だけが出ている状態で、銃を構えるような姿だったという。その後も土を耕している時にジーファーやたくさんの小さな骨が出てきた。近くには壕もあり、中からは防毒マスクやビール瓶が見つかった。

 山城や米須一帯は、沖縄戦で最後まで米軍に抵抗する日本軍と、逃げる避難民や住民が混在する中、米軍が激しい攻撃を加えた。山城丘陵に逃げたひめゆり学徒らは、兵隊や避難民、看護婦、生徒たちが海と陸からの激しい砲弾をあびせられ、同級生や多くの人が亡くなったと証言している。

 當間さんは、県が採掘業者に自然公園法に基づく中止命令を出さないことについて、鉱業権に制限を加えることが難しいという立場に理解を示した上で「それでも、われわれの思いは大事にしないといけないと思う」と採掘への反対を貫く。沖縄戦跡国定公園の本来の趣旨に沿い、保存されるべき場所だと考えているからだ。「多くの人が血を流し折り重なって亡くなっていったこの一帯は、鎮魂と慰霊の場として大切に守られるべき所だ」 (中村万里子)