沖縄戦、法的根拠ない「根こそぎ動員」裏付け 32軍司令部留守名簿


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 旧厚生省援護局調査課が1971年に沖縄県出身者だけをまとめた「留守名簿(沖縄)」は、沖縄戦を指揮した第32軍司令部(球第1616部隊)に所属した県出身者の実態を浮き彫りにする。史料は、沖縄戦直前に、県民を根こそぎ動員したことを裏付ける。

 「沖縄県史各論編6」などによると、戦況の悪化で日本本土からの増援の望みがなくなった1945年2月から3月にかけ、兵役法や防衛召集の対象ではない県民が義勇隊や救護班、炊事班などとして徹底的に動員された。この動員は、「防衛隊」などのように防衛召集の手続きを経ておらず、法的根拠もなかった。

 多くの場合、各駐屯部隊が指示し、指示を受けた各市町村、学校などが動員に関わった。沖縄本島の南部地域では激しい戦闘が続く中、極限の状態に置かれた住民が弾薬運びなどに動員された。

 防衛召集の対象は基本的には17歳以上だ。対象外の14~16歳だった沖縄師範学校・中等学校の2年生以上も、45年3月末に動員され、鉄血勤皇隊や通信兵として戦場に駆り出された。17歳未満の場合、兵籍への編入願いの手続きが必要だったが、多くはそれがないまま二等兵として武器を与えられ、兵士として扱われた。女子生徒らも動員され、軍属として戦場で傷病兵の看護に当たった。