【識者談話】若年軍属を多数動員 実態解明を 佐治暁人氏(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員)


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佐治暁人氏

 第32軍司令部「留守名簿」(沖縄)では、軍属が全体の3割に上り、17歳未満の若年の軍属も数多く動員されていたことが分かる。17歳未満の兵士は学徒兵が圧倒的多数を占めている。それに比べ、17歳未満の軍属は、女子学徒が過半数を占めているが、それ以外の者も存在する。例えば、14歳と15歳の女性が炊事婦として採用されている。14歳の軍属は豊見城村(当時)出身の女性だ。

 近年公開された新史料「軍属に関する書類綴(つづり)」で確認したところ、この女性が動員された経緯が記されている。それによると1944年末ごろ、第32軍経理部築城班の一員が、豊見城村のある部落の区長宅を訪れ、区長に「炊事婦5名を採用する」との連絡を伝え、区長は部落内の5人を選定し、翌日入隊させた。その後「南風原村津嘉山において、炊事婦として住み込み勤務していたが、軍の転進命令による移動中、艦砲弾により死亡した」とある。

 軍属の動員には十分な法的根拠がなく、ある日突然、地域に暮らす女性が何ら法的な裏付けがないまま、無防備に動員されていく様子がうかがえる。

 日本軍が軍属として採用した人は主に、兵器修理所や被服修理班などの要員となる「有技能者」と、炊事婦などの要員となる「地域住民」の2種類に分類できる。第32軍司令部の場合、前者が一定の割合を占めているものと思われるが、その他の部隊では、後者が圧倒的多数を占める。

 今後、個々の留守名簿やその他の日本軍史料、人々の証言などを照らし合わせながら、どのように軍事動員がなされたのかなど、被害実態の解明が期待される。
 (歴史学、日本近現代史)