沖縄戦から76年。戦争体験者が高齢化する中、戦禍の教訓を伝える手段として戦争遺跡の重要性が増しているが、調査や保存できないまま開発などで既に消失した戦跡もある。第32軍司令部壕や海底に眠る爪痕、米軍基地内に存在する戦争遺跡などは調査に大きな課題がある。貴重な戦争遺跡を調査し保存・活用していくために必要な視点について識者に寄稿してもらった
■海底に眠る戦跡
日本最大の地上戦と言われる沖縄戦、それは攻撃側のアメリカ軍と守備側の日本軍が沖縄島を中心に激しい戦闘を繰り広げた戦いである。
しかし、沖縄戦は陸上のみで展開されたのではない。沖縄島周辺の海域では、日本軍特攻機とアメリカ艦隊による戦闘も激しく展開されていたことを忘れてはならない。
海上におけるこの戦闘では、攻守の立場は逆となる。攻撃側は日本軍、そして守備側に立たされたのはアメリカ軍である。特攻機によるアメリカ艦隊への大規模な攻撃は、海軍では菊水作戦、陸軍では航空総攻撃と呼ばれ、アメリカ軍の中では、すでに“kamikaze”の音で知られた恐怖の突撃だったという証言がある。
■戦闘の痕跡
今帰仁村古宇利島沖の海底に沈むUSSエモンズ(Emmons)は、1945年4月6日に5機の特攻機による突撃によって戦闘不能となり、翌4月7日に僚艦であるUSSエリソン(Ellyson)から96発もの5インチ砲を受けて沈没した軍艦である。
沈没したエモンズ付近の海底からは特攻機のものと考えられる残骸も確認されており、突撃が行われた事実を生々しく物語る。現在、エモンズは年間多数のダイバーが訪れる沖縄有数のレックダイビングのポイントとして広く知られている。
エモンズの特徴の一つはその保存状態の良さにある。船首側から潜水をすると、右舷を下に当時の形をとどめて横たわるエモンズを見ることができる。やがて第1砲塔、第2砲塔が現れる。その保存状態も完璧で、第1砲塔は海面を仰ぎ、第2砲塔は正面を見据えている。
全長100メートルを超える軍艦が海底に横たわる姿を目の当たりにするものは、この海域で実際に戦闘が起こったことを痛感するはずだ。 一方、船体後方から潜水をすると、エモンズは全く違った姿を見せる。
そこは激しく損壊しており原形をとどめていない。2基の巨大なスクリューはむき出しとなり、船の舵(かじ)は船体から約16メートルも離れた場所に横転し、船体に装備された様々な部品も海底に散乱している。
船体中央部メインデッキの船室は穴だらけだ。艦橋は2階から崩れ落ち、かろうじて4階の射撃塔が形をとどめるのみである。 保存状態が良いはずのエモンズがなぜここまで損壊しているのか。
■損壊の原因
実は、戦争遺跡としてのエモンズの価値はこの部分にこそある。残された痕跡からその損壊の原因を探るのが考古学者の仕事だ。
エモンズが損壊する理由は三つ考えられる。一つ目は特攻機の突撃による破壊。二つ目は僚艦エリソンによる96発もの砲撃による破壊。三つ目は経年劣化による自然崩壊である。
筆者も協力させていただいている九州大学浅海底フロンティア研究センターの菅浩伸教授を中心とするチームは、戦争遺跡としてのエモンズの価値を明らかにする研究を続けている。
まず、最先端の研究方法を駆使してエモンズ全体の高精度3Dモデルを完成させた。これによって、海底の透明度ではわずかな範囲しか目視できない巨大なエモンズの全体像をひと目で把握することができるようになった。
その結果、当時の米軍の戦闘記録や証言、エモンズと同型艦の設計図を参考としながら、3Dモデルと潜水調査により船体を観察することによって、それぞれの損壊の原因を特定することができた。
その一部を紹介しよう。例えば、艦橋2・3階の崩壊は左右から突撃した2機目・3機目の特攻機による劣化が原因であり、船体後方の激しい損壊は1機目の突撃と船体後方に今も一部が残されている爆雷への誘爆が原因と考えられるようになった。さらに、考古学の調査は、戦闘記録や証言だけではこれまで左右が不明であった1機目の突撃が、エモンズの右舷側からであった可能性が高いことまでも明らかにした。
一方、船体中央部メインデッキの船室の損壊はエリソンによる砲撃の結果である可能性が考えられる。船体には砲弾が貫通したことを示す丸い弾痕さえも残されている。
特攻機による突撃でもなくエリソンによる砲撃でもない損壊については、劣化による自然崩壊と考えるのが妥当である。海底に露出するエモンズの劣化は確実に進んでおり、実際、船体後方に装備された40ミリ機関砲が半年ほど前に崩れ落ちたことは記憶に新しい。
■遺跡のメッセージ
海底に眠るエモンズと特攻機の残骸、その存在は、これまで戦闘記録や証言で語られてきた特攻機の突撃によるアメリカ軍艦の破壊と沈没、その詳細な戦闘が目に見える形で船体に刻まれていることが明らかとなったものであり、太平洋戦争末期における海戦の実態を象徴する戦争遺跡だと評価できるようになった。
この遺跡を目にするものは、特攻隊とエモンズ乗組員の戦闘を追体験することになるだろう。そして、このたった一つの戦争遺跡は、沖縄、日本、アメリカ、それぞれの立場の思いと歴史を語る文化遺産でもあることを忘れてはならない。
沈没から76年、自然の理で崩れゆくエモンズの形をとどめることはできないかもしれない。だからこそ、今、可能な限りの調査と研究を行い、遺跡からのメッセージを少しでも多く記録し続ける努力が必要なのである。
沖縄県立埋蔵文化財センターでは、今秋、企画展「海から見た沖縄戦」を計画中であり、開催の際は多くのみなさまの来館をお待ちしている。
かたぎり・ちあき
1976年長野県生まれ。沖縄国際大学卒。現在、沖縄県立埋蔵文化財センター主任専門員。水中文化遺産の調査研究を専門とする。主な著書に『沖縄の水中文化遺産』(ボーダーインク)、『地中海の水中文化遺産』(同成社)などがある。