今帰仁村の古宇利島沖の海底に沈む米海軍の掃海駆逐艦「エモンズ」。沖縄戦の記憶を今に残す“戦跡”は、時間の経過と共に朽ち果てようとしている。村は財政面や安全上などの理由から、単独の保全対応は困難としている。
エモンズは全長約105メートル。記録などによると1945年4月6日、伊江島の近海で日本軍の特攻機5機による体当たり攻撃を受けて航行不能になった。この戦闘で日米合わせて約60人が亡くなり、米軍は翌日、機密保持などを理由に沈没処理した。2000年、海上保安庁などの調査で古宇利島沖の水深約45メートルの海底で発見された。発見当時、金属類の劣化が見られたが、沖縄戦当時の原型をとどめ状態は悪くなかった。
米軍の記録などによると、今回著しく損壊が確認された船尾の第3砲塔付近は、特攻してきた日本軍の98式直協機が突き刺ささった部分。操縦席には亡くなった日本兵の姿があったという。海底のエモンズの船尾周辺には、98式直協機のものとみられるエンジンや機体の一部も残っている。
発見当初から関わり、調査・研究を続ける嘉手納町のダイビングショップ経営、杉浦武さん(54)は4月中旬、船体の一部の崩落を初めて確認した。「いずれは崩れると思ってきたが、実際に目の当たりにすると、沖縄戦の痕跡が崩れるようでつらくなった」と肩を落とす。
杉浦さんによると、発見時の船内調査では、沖縄戦当時の水中ノートや米兵の遺品などが複数確認された。現在は全体が劣化しているため、船内へ進入するのは危険だという。
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船内にはいまだ燃料や機器類の油が残され、爆雷も複数みつかり安全性の問題もある。崩壊が進めば、多量の油の流出など、大規模な環境汚染も懸念される。
エモンズが沈む海域で3月ごろ、海面に浮き上がる複数の黒い油を確認した古宇利島の男性漁師は「最近は粘り気のある油が浮いてくることがある。ダイビングスポットとして島の観光資源の一つになっているエモンズを保護し残していきたいが、深い海底にあるためどうすることもできない」ともどかしさを口にする。杉浦さんは「なぜここに軍艦が沈んでいるのか。エモンズが持つ物語を読み解くことが、沖縄戦の記憶や教訓を後世に伝える足がかりになる」とその価値を強調した。
(記事と写真・高辻浩之)
自治体だけで対応困難、国と連携し米国と交渉を
国学院大研究開発推進機構の池田栄史教授(考古学・博物館学)の話 文化財保護法では、史跡や名勝などの文化財は、所在する県や市町村に権限が認められている。文化庁は全国で近代・近世の戦争遺跡や遺物の保全、保護を推奨している。しかし、周知が足りず、全国的に取り組みが進んでいない。主管する市町村は財政などの理由から「負のイメージ」を持つ戦跡の保全には及び腰なのが現状だ。
エモンズは沖縄の海底に放棄された状態であっても、所有権は米海軍にある。保全を目的に船体に手を加える際には、米国側に許可を得る必要がある。深い海底に存在し、未発弾などの安全上の問題もはらむ。主管する自治体単独での対応は難しいだろう。今後、戦跡として保全に取り組むなら、県や関係機関と連携し、米国側と交渉することが求められる。戦後76年が経過した現在、戦争遺跡や遺物が所在する各自治体は、取り扱いを先延ばしにせず対応の方向性を定めなければ、遅きに失する可能性がある。