prime

石を抱いて海を走る…ロックラグビーの快感「言葉が生まれる前の世界」<沖縄発>


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明

written by 黒田 華

息を止め、ボールに見立てた「ロック」を奪い合う

 水深3~5メートルほどの海底に素潜りして行うラグビーのようなスポーツ、ウオーターロックラグビー(以下「ロック」)。水の事故を防ぐライフセーバーがトレーニングの一環で始めたと言われ、2003年から毎年1回、沖縄・渡嘉敷島などで全日本大会が開かれている。男女別でリーグ戦を組めるほどのチームが各地で活動しており、この一つに参加させてもらう機会に恵まれた。

 お邪魔したのは、発達障がいなどがある子どもたちが通う放課後等デイサービスIMUA(沖縄市)。海や山での活動をふんだんに取り入れており、子どもたちが安全に活動できるよう毎週うるま市や恩納村の海に通い、スタッフがトレーニングしている。代表の山城健児さん(55)に「私もやってみたいです」と打ち明けると「楽しいよ。いつ来る?」と二つ返事で受け入れてくれた。
 

水深3メートル…息を止め

 5月の水曜日の午前9時。伊計島の大泊ビーチに集まったのはIMUAに通う子ども、スタッフ、その友人・知人など10人ほど。日焼けして引き締まった体で談笑する姿はまるでサーファーかダイバーの集団だ。準備する道具は、ゴールとして沈める金属製の側溝のふたとそれにつなぐ浮具、ボール代わりになる重さ30キロほどの石だけ。たくさんの腕に抱かれてすべすべになった石を、若い男性スタッフが筋肉を盛り上がらせて車からビーチへ運んだ。

 プレーヤーたちは水着にゴーグル一つでフィンさえ付けない。海では立ち泳ぎで息を整え、交代で海底に潜ってプレーする。練習は海底に座る、潜って石を持ってゴール間を走るといった基本動作から始まった。

 慣れた人はいともたやすく水中に滑り込むが、初心者には3メートルの深さに達することがまず難しい。頭から突っ込み、海底を目指して水をかくが、どうにも進んでいる感触がない。

 足は水面を蹴ってばかり。そのうち体が回転し、逆さになったまま顔がどちらを向いているのか分からなくなる。腰や股関節はあらぬ方向に曲がり、ああ自分の体の可動域はこんなにあるのだな…などと全身の感触を味わいながら、海底を諦めて光の差す海面へ向かい、ぶはっと息をついた。

 「もう1回行けますか。ロープを伝うといいですよ」。助言をもらい、ゴールとなる側溝のふたと浮具をつないだロープをたぐると、なるほど浮力に抗して底に近づける。石を取ろうとロープを手放すと浮かび上がりそうになる私の腕を、先に潜っていたスタッフの安藤俊哉さん(42)がつかんで引き寄せ、石を抱かせてくれた。

 地上では簡単に持ち上がらない重さ約30キロの石も、水中では5キロの米袋ほどの感覚だ。おなかに抱くとちょうどいい重しになって体が安定する。息が続く時間はわずかだ。さあ早くゴールに向かわなければ。

 全身にかかる水圧と水の抵抗を感じながら、三段跳びでもしている気分で大股で海底を蹴ると、足の指の間に砂がめり込んでふわりと前進し、石の重みでまた沈む。足の力がうまく伝わって推進力が出ると、全身をなでる水流がなんとも心地よい。

 うっすら煙った水の向こうにゴールが見えてきた。たどり着きたい、でも苦しい。あと一歩、二歩…もうあかん。石を海底に置くと一直線に海面へ浮かび上がった。

 「すごいすごい」「気持ちよかったでしょう」。スタッフたちの声が耳に響く。ああこの世界は音や光がこんなにも明瞭で、どれだけでも息が吸える。その安心感の次に「ここまでできた」という達成感、そして初心者をさりげなくフォローして、一緒に楽しみ喜んでくれる人たちの存在感が全身を満たして、薄曇りの梅雨空にさえ喜びを感じた。外形的には、体は浮具にしがみついてぜえぜえと息をするのに必死で、皆さんに顔を向ける余裕もなかったのだが。

敵?味方?顔を見合わせ

石の重みで足がめり込み、砂が煙のように舞い上がる

 回を重ねるごとに、より深くまで潜れるようになり、自分で海底の石も拾えるようになった。

 ゲームの練習では、トライすることができる人を各チームの初心者に限定するなど、技術や体力に差があっても一緒に楽しめるよう工夫がなされている。

 ある日のゲームで、石の争奪戦に加わる力のない私は「トライ要員」としてゴール近くで待機していた。味方チームの1人がこちらに向かってくる。追っ手は近くにおらずトライのチャンスだ。走っている人の息が続く間に石を受け取らなければならない。

 ロープも使いながら何とかその人の近くまで潜り、肩に触れて存在を伝えた。が、そこで2人ともふと「はてこれは味方だったかな?」といわんばかりに顔を見合わせてしまった。

 チーム編成はその日の参加者がじゃんけんで決め、固定ではない。特に私は人の顔を覚える能力が低く、ゴーグルをかけた相手の顔の判別に自信がない。水中では言葉を発することができず尋ねることもできない。急がないと息が続かないし敵も来る。焦って何かわちゃわちゃしているうちに、なんとなくお互いに「味方だ」と通じ合い、私は石を受け取って無事トライした。海面に上がると、ぜーはーしながら顔を見合わせて大笑いした。

 そうなのだ。ロックの魅力を挙げればページが尽きるほどあるのだが、この水中での無言のコミュニケーションが何物にも増して大きい。受け取った時の石の重み、重い石を渡してふっと軽くなる感触とともに、何かとても大切なものが体の奥に響くのだ。海から上がっても残るこの不思議な満足感は何だろうと考え続けた。

言葉は「飛び道具」だけど

ウオーターロックラグビーを楽しむ人たち=うるま市の伊計島・大泊ビーチ

 普段私たちはあふれるほどの言葉を用いて他者と情報交換をしている。「飛び道具」である言葉は時間や空間を超えて情報を伝え、人間社会を拡大させてきた。だがふと立ち止まると、発せられた言葉の受け取り方は人それぞれだ。言葉を使う仕事をしていても、何がどれだけ伝わっているのか、相手がそれをどう理解したのか、それは正直なかなか分からないし、私にしても相手の真意をどれだけくみ取れているか、定かではない。

 水中では言葉でのコミュニケーションは取れない。息ができないという絶対的な緊張感、時によっては危機感さえあり、滞在時間も限られる。ちなみに重い石は基本的に丁寧な手渡しで、ボールのように投げることは難しい。

 このある意味過酷で制約の多い環境で、互いの安全に気を配りながら「この人に石を渡そう」「この人から石を受け取ろう」という気持ちがかみ合ったとき、石の受け渡しは成立する。そしてそれを初心者でも体験できるよう安全を見守り、技術的な手助けをしてくれるベテランたちがいる。この安心感のもとに成立する、体を使った他者との確かな意思疎通が、脳の深いところでの満足感を生み出しているのではないか-。

 そんな話をすると、日本にロックを導入し、競技として確立させた豊田勝義さん(60)は「IMUAのメンバーがそういう場を作り上げたんですね」とうれしそうに目尻を下げた。

子どもの「生きづらさ」ハードル下げる

IMUA代表の山城健児さん

 実はこれは、山城さんがIMUAで子どもたちとロックを続ける理由でもある。

 長く発達障がいのある子どもの育ちを考えてきた山城さんは2010年頃、「~してはだめ」「~しなければならない」と制限が多い室内での活動や、集団活動が苦手な子どもたちも、自然の中では表情が打って変わって明るくなることに気が付いた。

 さらに、自分がやってみて楽しかったロックを試してみると、足のつかない深い海では子どもたちは自分の身を守ることに集中するようになった。山ではへそを曲げてぷいっとみんなと別の方向に歩き出すような子もいるが「沖でそんなことをする子はいない」。危険があるからこそ信頼できる大人や周囲と協力し、「体がきつい」「寒い」といった自分のこともきちんと伝えられるようになる。

 一方、魚やウミガメを追いかけたい、あの人のように上手なりたいといった向上心や好奇心を刺激するスイッチも海にはたくさんある。やりたいことと身を守ることの間で自分の力を見極め、制御する力を子どもたちは身に付けていく。何よりロックでは「空気を読む」といった、発達障がいのある人たちが特に苦手とするコミュニケーションをしなくても、石を介して心を通じ合わせることができる。

 周囲の人たちとの信頼関係、好奇心や向上心、何より自分や周りの人の安全を守れるようになること。人間が育つ上でとても大切な要素が、ロックを続ける中で育まれていく。「それを頭で理解するのではなく、体で実感できる。こんなにうまくいくとは思わなかった」と山城さんも驚くほどで、その「成果」は練習に参加する子どもたちの生き生きと自信に満ちた表情や動きを見れば一目瞭然だ。

 長く不登校だったある生徒は、発達障がいのため新しい環境が苦手だったが、ロックの練習や大会を通してやんばるや離島まで訪れ、初めての子どもや大人とも分け隔てなく交流し、飛行機の乗り方を覚えて海外交流にまで行った。いまは家庭を持つ社会人として立派に活躍しているという。

 山城さんは言う。「学校に行けなくても世界には行ける。ロックを通じて、世界へのハードルを下げたい」。海はやはり世界の入り口なのだ。

命の源、海へ還る

いざゴールへ!海底を走る黒田記者

 ロックでのコミュニケーションを考えるとき、もう一つ思い出すことがある。ゴリラの研究を通して人間社会を考える山極寿一さんは、生物種としてのヒトもしくはその祖先は、言葉が誕生する以前から、対面して目を合わせる、体に触れる、食の場を一緒にするといった直接的・身体的な方法で共同体のメンバーと心を通わせ、信頼関係を築いてきたとする。

 今はインターネットがあれば顔すら合わさず遠くの多くの人たちと瞬時につながることすら可能だが、人間の心や体は技術のように急速には変わらない。人間には、言葉以前の「古いコミュニケーション」が変わらず重要であることを、山極さんは折に触れて発言している。

 そういえばIMUAの山城さんもロックで子どもたちが元気になる理由として「発達障がいは神経が発達する上での不具合だから、今の人間に進化する前の段階に戻るのがいいんだよ。海から陸に進化した動物が、また海に戻るように」と話していた。

 「ロックで、いつもとは脳の違う部分が活性化した!」と興奮する私はそんな言葉を思い出し「活性化したのはきっと、普段小ざかしく頭でっかちな暮らし方をする時に使う脳ではない、もっと古くからある部分なのだ」と勝手に想像し、なるほどロックの魅力にはヒトの進化的な背景まであるのだな-などと一人納得している。

 直感的にやりたいと思ったロックで、コミュニケーションや人の育ち、進化まで考えることになるとは思わなかった。いったいロックは一粒で何度おいしいのだろう。

 とまれ、ロックが内包する、人が育ち、生きるために多分とても大切なものを味わい、楽しむために、来週も休みを都合して練習に行きたいと思っている。


黒田 華(くろだ・はな) 1975年生まれ、京都市出身。2001年に入社し社会部、北部報道部、整理部などを経て暮らし報道グループ記者。関心分野は自然や科学、貧困、教育、ジェンダーなどで、諸問題解決への仕掛けとしてSDGsに注目中。好きなことは畑とたき火、そしてもちろんロックです。


沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。

【動画】ロックの日…海底でトライ! 沖縄で素潜りラグビー

【琉球新報ラジオ部】黒田記者登場「深~い魅力」を語る