名護の「キタボー」48年の歴史に幕 コロナ影響で経営困難


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48年の歴史に幕を下ろしたキタボウリングセンター=6月11日、名護市城

 【名護】沖縄県名護市城のキタボウリングセンターが新型コロナウイルスの影響で経営困難となり、6月20日で48年の歴史に幕を下ろした。本土復帰して間もない、1972年12月にオープンした。県ボウリング場協会に加盟する施設で2番目に古く、娯楽の少ない時代から市民の楽しみの一つだった。街の中心にあり「キタボー」と呼ばれ、憩いの場として親しまれてきた。

 オープン当時、県内で珍しいじゅうたん張りの施設だった。ボウリングシャツを着た市民は入り口で履物を替え、1ゲーム250円で楽しんだ。43年勤めた岸本敏男さん(65)は「当時の暮らしでは高級な遊びで、特別な場所だった」と振り返った。

キタボウリングセンターのリーグ戦でプレーする人々(提供)

 週末はオープン時から混雑し、待ち時間は2時間以上になることもあった。当時から職域ボウルが盛んで、琉球セメントやオリオンビールなど常勝の企業に対抗しようと、多くの企業が闘志を燃やした。

 今帰仁村などから訪れる高校生も多く、学生の交流の場でもあった。ボウリングがうまいと人気者になるため、男子学生は練習のためにこっそりキタボーに通った。昔から通う大城康志さん(59)は「非常に寂しい。青春の1ページが消えてしまったようだ」と声を落とした。

 昨年からコロナの影響で客足が遠のいた。利益が減る中、人件費など多額の固定費を支払わねばならず、苦しい経営状況が続いた。何度も「閉店」の2文字が頭をよぎったが、常連客から「続けてほしい」との声が多く、何とか営業してきた。

閉店に向けた作業を進める人たち=名護市城のキタボウリングセンター

 今年5月23日から、緊急事態宣言が発令された。仲村司支配人は「毎月赤字が出ている中、これ以上の経営は困難だ」と苦渋の決断をした。「長い間利用していただき大変ありがたかった。皆さまには健康のためにもボウリングを続けてほしい」と笑顔で語った。
 (喜屋武研伍)

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