毒ガス兵器移送50年「華々しい公開」に政治的意図 我部名誉教授に聞く


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 【中部】1971年7~9月の米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫)からの毒ガス兵器2次移送から15日で50年となった。米紙報道で毒ガス貯蔵が明らかになったことや、毒ガス撤去の公開に至る米政府の対応について、琉球大の我部政明名誉教授(国際政治)に聞いた。

 Q:毒ガス事故発覚の以前にも同様の事故があり、兵器を海へ放棄するとの記録が残っている。

 「多くの弾薬を海上投棄したのは沖縄戦後に顕著だったが、69年にもあった。化学兵器も海上投棄するならば、ベトナム戦争で使用した枯れ葉剤も埋設や海上投棄したのだろうと推測される」

 Q:69年7月に米紙が事故を報じたが、報道に圧力を加える動きもあった。報道後の情報開示でも事実を矮小(わいしょう)化する様子がうかがえた。

 「事故が起きなければ(毒ガスについて)明らかにならなかった。以前に秘密裏に処理されたことも当然あっただろう。当時は沖縄返還交渉の話も出ていたころだ。米政府は事故以外に波及する影響も考え、情報がコントロールできるよう限定的に開示したと考えられる。事故を起こした可能性があるものの中で最も致死性が低いものを答えたのだろう」

 Q:その後、撤去の様子を公開した。

 「撤去の話が出た12月にはコザ騒動があった。(沖縄を統治する最高責任者の)ランパート高等弁務官は撤去が始まれば騒動は消えると言及している記録もあり、撤去で沖縄の不安も静まると見ていたようだ。大々的な撤去作業の公開は裏に政治的意図があるだろう。69年12月に、沖縄返還合意に合わせた『核抜き』を錯覚させる政治的効果としてメースB・ミサイルの撤去作業を公開した」

 「類推すると、毒ガスは貯蔵だけの話なのか、別の場所で使用されたことはないのか。維持管理しているものを使わない理由はあるのか。そこに触れられたくなかったのではないかと臆測してしまう。撤去が華々しく公開された裏には沖縄だけでとどめたかった政治的事情を考えずにはいられない」(聞き手 新垣若菜、島袋良太)

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