「次世代への継承は責務」 照屋次央さん 山の戦争(28)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
現在の名護市仲尾次の集落

 本部町伊豆味で米軍に捕らわれた照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族は羽地村(現名護市)の田井等収容地区にトラックで運ばれました。行き先は仲尾次です。ここでも食料が不足していました。「イモを掘りに歩いて伊豆味まで行きました。同じ部落の人も一緒です」

 収容地区から伊豆味に戻った後も苦しみが続きました。マラリアが広がっていました。照屋さんの家族もマラリアに苦しみました。「人が上から乗っかっても体が震えました」と語ります。

 照屋さんは悲惨な体験をこれまで公にすることはありませんでした。父の忠次郎さんも戦争体験を語らなかったといいます。山中では忠次郎さんと分かれて行動することもあり、親子で異なる体験をしました。

 今回の体験記の冒頭にこう記しました。

 《戦争こそは悲劇の極みであり、誰しもが戦争の話は語りたくないものである。しかし、平和、自由、人権を守る立場から悲惨極まる戦争の実相を風化させず、次世代に語り継ぎ、平和を発信することは生き残った私たちに課せられた責務だと思い、ペンを執りました。》

 思い出したくなかった戦争。責務を果たすためにペンを握る時、照屋さんの心は76年前の伊豆味の山中をさまよっていたのかもしれません。

     ◇

 照屋次央さんの体験記は今回で終わります。次回は當銘幸吉さんです。