父、自決寸前に捕まる 山内輝信さん 山の戦争(17)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
糸満市摩文仁に残る井戸

 山内輝信さん(84)=恩納村=の父、明信さんは沖縄本島南端の摩文仁で捕虜となり、ハワイで抑留生活を送りました。摩文仁では自ら命を絶つ覚悟をしました。1946年末に帰郷した明信さんは自身の体験を息子たちに語ったといいます。

 防衛隊に動員された明信さんは南部の激戦地をさまよいました。輝信さんは父の体験をこう記します。

 《軍人と共に行動していた父。健児之塔近くの井戸で水をくみ、持ち帰ったバケツの底には人の血がたまっていた。》

 「父は軍人と一緒に岩陰に隠れていたそうです。どうせ死ぬんだったら手足を撃たれて苦しむよりいっぺんに死んだほうがいいと思っていたようです」と輝信さんは話します。

 明信さんは日本兵の遺体に付いていた手りゅう弾を使って自決するつもりでしたが、直前に米兵に捕まります。

 《死ぬ覚悟で手りゅう弾を付けた死体に近づこうとした時、米兵に捕まりました。その後、捕虜仲間と出会って、やっと安堵(あんど)したと語っていた。》

 戦後、輝信さんは米軍基地で働きました。64歳で亡くなった明信さんと摩文仁を訪れたこともあります。「もっと父の戦争体験を聞いておきたかったですね」と輝信さんは語ります。

(山内輝信さんの体験記は今回で終わります。次回は照屋次央さんです)