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演奏や作詞作曲…音楽スキルのシェアサービスを事業化 シンガー・ソングライター吉成ゆいさん<県人ネットワーク>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 2018年にコロンビアレコードからメジャーデビューした。だが、アルバム発売のキャンペーンをしようにも、サポートしてもらうギタリスト探しに苦労した。その苦い経験から、音楽に特化したスキルシェアサービスを事業化することを思い立った。「音楽系のスキルを持っている人なら、みんな登録しているような音楽家の鉄板的サービスにしていきたい」。現在、事業拡大に奔走している。

 宇多田ヒカルに衝撃を受け、15歳でシンガー・ソングライターを志すことを決意した。高校を中退し、17歳から7年間、那覇市のライブハウス「APACHE」でドラム兼ボーカルとして活動した。本格的に音楽を学ぼうと単身で渡米し、帰国後は東京の専門学校で曲作りや作詞を学んだ。

 シンガー・ソングライターとしては、29歳のときにVシネマ「追跡者―Shot gun―」の主題歌「儚いものたちへ」を楽曲提供したのが初仕事。路上でのライブ活動をしながら、メジャーデビューのチャンスをつかんだ。

 音楽のスキルシェアサービスの事業化に向け、2019年から事業計画書の作成などに手探りで取りかかった。20年1月に会社を設立、10月にスキルシェアマーケット「otosica(オトシカ)」をインターネット上に立ち上げた。

 オトシカでは出張演奏や音楽講師、作詞・作曲など自分の音楽スキルをサービスとして出品することができる。「音楽で生きていく人や音楽を楽しむ人の願いをかなえるためのサイト。音楽を愛する人たちの役に立ちたい」と笑顔を見せる。

 「30歳でやっと本当に自分のやりたいことが始められた。それまでは『やりたいこと』というより、『できること』をやっていた」と言う。ドラム兼歌手として勤めていた都内のライブハウスを30歳で辞め、シンガー・ソングライターを目指すべく路上に出て自主レーベルでアルバムを出すなど自らで環境を変えた。「チャンスは待っていても来ない。まずは行動しないと損。目指す道を歩んでほしい」。沖縄の若者にエールを送る。


 よしなり・ゆい 1982年、那覇市小禄出身。シンガー・ソングライターを目指すため、豊見城高校を中退。17歳から7年間、那覇市のライブハウス「APACHE」で、上京後は六本木のシルビーでドラム兼ボーカルとして活躍。「Sally Joe」や「結―YUI」の名でも活動していた。2018年にコロンビアレコードからアルバム「大好きな人」でメジャーデビュー。20年に音楽に特化したスキルシェアマーケットを運営するためオトシカを設立。