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パジャマで待った「大人の集う場」私が社長になるなんて…プラザハウス社長・平良由乃さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
慣れ親しんできた琉米文化について話すプラザハウス社長の平良由乃さん=7月23日、沖縄市のプラザハウスショッピングセンター

 上はおめかしで、下はパジャマ。沖縄の日本復帰前、小学生だった平良由乃(62)が母・マツエに連れられて、現在の沖縄市にあるショッピングセンター「プラザハウス」に連れられて行くときは、決まってこのスタイルだった。

 おしゃれだったマツエが服を買い回るのを、駐車場の車の中で待つことが日曜日には恒例になっていた。「上は着替えているので車の外から見られても大丈夫だが、下がパジャマだと外には出られない。『子どもは来ちゃだめよ』と言われていたような気がした」と笑いながら語る。

 1954年7月4日の米独立記念日に開業したプラザハウス。外国資本だったが、米国型のショッピングセンターとしては日本初の施設だ。当初は隣接する琉球米軍司令部(ライカム)など米軍専用の施設だったが、55年に基地外の地元客に開放された。

「ライカム アンソロポロジー」内で、琉米文化の写真を見せ当時の雰囲気を伝えるプラザハウス平良由乃社長=7月23日、沖縄市のプラザハウスショッピングセンター

 英国の「アクアスキュータム」やフランスの「ランバン」、スイスの「バリー」…。米国製品はまだ少なく、開業当初のプラザハウスは欧州ブランドの靴や服などがメイン商品だった。海外製の化粧品や香水も豊富で、1957年からは県外からやって来る団体観光客のコースに組み込まれた。

 ハイカラな県民や米兵、観光客らが目立って賑わっていたプラザハウス。「自分たちが行く場所とは違うのかな」。車の中で母を待ちながら、小学生の由乃はそう思った。
 現在のプラザハウス3階にある「ライカムアンソロポロジー」には、開業間もない頃の写真が並んでいる。着飾った沖縄の人たちや米兵、その家族が所狭しと並んだ服や靴を買い求めている様子を今の人々に伝える。「私が社長になるとは思ってもいなかった」。車窓の風景だったプラザハウスを重ね合わせ、由乃はつぶやいた。

(文中敬称略)(塚崎昇平)

▼(その2)ここは世界への直行便、キラキラの文化と未来へ