桐谷健太もハマった コザはなぜこんなに人を引きつけるのか<映画「ミラクルシティコザ」への道>1


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 1970年代の沖縄市・コザを舞台にした映画「ミラクルシティコザ」(平一紘監督)が2022年1月に県内で先行公開される。沖縄にゆかりを持つスタッフが出演者や制作者の9割を占め、主役は若手実力派俳優の桐谷健太。平監督(32)を案内役にゲストとのトークを通して、コザの歴史や音楽文化などにフォーカスし「県産品」映画の魅力に迫る。全6回。第1回は、沖縄市でカフェ映画館「シアタードナーツ・オキナワ」を営む宮島真一さん(48)と、沖縄市観光物産振興協会事務局長で同会にKOZAフィルムオフィスを立ち上げた金城諭さん(48)をゲストに、コザについて語ってもらった。

撮影のよりどころが多い街コザ

 平 「『ミラクルシティコザ』は、堤幸彦監督ら著名な映画関係者が所属するオフィスクレッシェンド主催の「未完成映画予告編大賞」で大賞を受賞し、製作が決まりました。同賞の応募に向けて企画段階から相談していたのが、映画愛あふれる宮島さんだった。宮島さんはなぜコザで映画館を開いたのですか」

シアタードーナツ・オキナワの宮島真一さん

 宮島 「『沖縄を変えた男』(2016年)や『ココロ、オドル 満月荘がつなげる3つのストーリー』(19年)などを撮影した岸本司監督の下で何本か助監督をしたり、映像関係の仕事をしたりしていたので、映画館にお客さんがあまりいない状況を見ることがあると悔しかった。映画を作っている人の(作品への)魂のかけ方は尋常でないから、それがお客さんに届いていない状況を目のあたりにすると、小さな映画館でもいいから、いつでも映画が身近にある場所が必要だと感じた」

 「なんでコザかというと、楽しくできる仲間がいっぱいいるから。みんなチームになれる場所で、映画館をきっかけにまちづくりや人作りにつながればいい」

 平 「金城さんの仕事を教えてください」

 金城 「全島エイサーまつりや国際カーニバルなど、沖縄市に観光客を呼ぶための仕掛けを考える仕事。その内、KOZAフィルムオフィスは、映画などのロケーション(野外撮影)を誘致し、撮影をサポートするフィルムコミッションの仕事をしている。沖縄市も独特の街並み、風景があるのでそれを売りに、映像産業のみなさんに来てもらい、できあがった映像作品を見てもらった人たちには観光に来てもらう。そのために製作者のみなさんのリクエストに合う場所を紹介する。ときには『爆破したい』とか、行政施設を舞台に『人が死ぬ』、『おばけが出る』などの無理難題をどうにか実現するのも仕事です」

沖縄市観光物産振興協会事務局長の金城諭さん

 平 「フィルムオフィスさんはツイッターに、ロケ地とかたくさん上げてますね」

 金城 「フィルムオフィスのスタッフには、『まちはロケで使えるかどうかで見ろ』と言っている。崖があれば、人が死ぬシーンとか。暗室だったら強盗殺人だとか、いろんな絵が撮れるはずなので、そういう提案も含めて、ツイッターやフェイスブックで(発信)させている」

 平 「ただの海ではなくて、海の中でも難破船が近くに見えるとか、この場所でないといけない何か。自分もロケハンのときにそういうのを探すようにしている。コザはそういうところがめちゃくちゃ多くて、それが多いのが歴史かなとも思う。ゲート通りで最も古い「Aサインバー」の『プリンス』だったり、ゲート通り一つ取っても『SEIKO』の看板があったり。ここ昔すごい栄えてたんだろうなという雰囲気がある。かつてあったものが見え、それがフレームの中に収まるだけで相当違う。絵作りがしやすい」

ゲート通りにある「SEIKO」の看板

ずっとやりたかったエンタメ作品

 宮島 「(平は)岸本組の助監督をやってみるとか、貪欲だよね。『サラリーマン時代を帳消しにする』じゃないけど、早くから映像業界に入っていたらという思いからか、めちゃ吸収しようといろんな現場にいる」

 平 「不安でしょうがないのと、コンプレックスがすごいあって。沖縄にいる、映像の学校に行っていないし、サラリーマンを5年間やっている。東京の才能ある映画監督とバリバリやっている人に対して、悔しくてたまらなかったんですよね。自主映画を製作しているけど、有名な賞とか取ったことがない。でもスタッフには『僕は必ず有名になって、面白い映画も、予算高い映画もたくさんやるので』と言っていた」

平一紘監督

 宮島 「貪欲さが続いているよね。最初はダークなトーンの作品が多かった。それを見て俺が『みんなが楽しくなるの作ってよ。コメディー撮って』と言ったら本当に撮ってくれた。でも、(そのときの作品も)トーンが暗いわけ。『どうした』『笑っていいのこれ?』みたいな」

 平 「フィックス(カメラを固定したまま撮影する)という言葉も知らなかった。臨場感かなと。ホラーが実はずっと不得意。幽霊が怖くないから、なにやったら怖いか分からないんですよね。でも笑うのは好きだし、笑わせるのも好きだし、コメディーが好きだし、感動するのも好きだから。ずっとやりたかったのは笑いあり、涙ありのエンターテインメント。だから、『ミラクルシティコザ』は幸いそういう感じに出来上がった」

 

予告編撮影時からミラクル

 平 「コザの歴史をひもといたとき、(映画でもしばしば)ちょっと暗い側面が描かれてきたじゃないですか。先輩たちがかっちょよく描いたことを、僕が同じようにやったら、多分負けると思った。(『ミラクルー』では)かっこよくとか、シリアスに描くのではなく、ちょっとふざけようかなと。いまのコザを『揶揄する』というか、いまはちょっと盛り上がってないまちが、昔は盛り上がっていたというギャップを見せた方が、今の人たちには分かりやすく刺さって、コザの魅力が伝わるのではとこういうストーリーにした」

 宮島 「映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大好き。コザで、ああいうテイストでやってくれる企画が上がったときは、本当に嬉しかった。(県内で)役者さんや舞台をされている方もちょっとずつ増えてきて、お笑い芸人の人たちも番組を持ったりとか、どんどん表に出てくる中で、映像を撮る人がなかなか出てこなかった。いても岸本さんとか、少し先輩の方。その中で、平君が出てきた。タイムスリップものを作るには、昔の人(当時を生きた人)たちへのリサーチを通して、温故知新なことも出てくる」

映画「ミラクルシティコザ」より沖縄市のゲート通りでの撮影シーン(PROJECT9提供)

 金城 「『未完成映画予告編大賞』にエントリーすると聞いたとき、絶対大賞を取り、本編作ってもらわないとと思った」

 平 「誰もが大賞とか意識していない段階でお二人に協力してもらい、ありがたかった。全国的にもコザは映画が作りやすいと思う」

 宮島 「『未完成映画予告編大賞』の映像を見たとき、他の(出品)作品と何が違うかというと、圧倒的にエキストラが多すぎ。『もう本当につくったんじゃない』という感じ」

 金城 「プリンスでのダンスシーンとかね。沖縄国際カーニバルの当日にも、ステージ上で撮影している」

 平 「あのときの撮影は本当に最高でした。本編で想像していた映画のラストシーンが、『大観衆の中で主人公ないしは、幽霊となったおじいが歌う』シーンを想定していた。そのシーンをなんとか、予告編の中にワンカットでもいいから入れたいと、『沖縄国際カーニバルのステージを5分でもいいからかしてもらえませんか』と無理を言った。(撮影当日)カメラマンと僕と演者でステージに上がって(カーニバルを見にきたお客さんに向かって)『すいません、今から、よく分からないと思うんですけど、予告編の撮影します』と。『マイクをこうやったら、みんなでウワッて言ってください。いきまーす』と2回だけやって、『ありがとうございました』と帰って行った」

 宮島 「それで撮れちゃったんでしょ。ミラクルが本当に起こっているよね。映画ってダイナミズム(迫力)を表現するから、なかなか日本の映画とか沖縄だけで作る映画は難しいと思うわけ。例えばハリウッド映画の『メジャーリーグ』とか、『ボヘミアンラプソディ』とかさ、ぶわーっとなっている(大勢の観客が集まり歓声を上げている)のを劇場のスクリーンで見る、あの感動。でも、沖縄でも(沖縄市には)全島エイサーもあるし、ピースフルラブロックフェスティバルもある。ある種のダイナミズムみたいなものを映画の中に、落とし込めるまちなんだよ、と思っていた。だから(『ミラクルー』も)ものの見事に形になると思う」

「未完成映画予告編大賞」のために、沖縄国際カーニバルで撮影された一場面。画面の奥に観衆が見える

 平 「『ミラクルー』を見て、いろんな人にコザに来て、映画撮ってほしいですね」

 宮島 「沖縄市に沖縄アリーナもできた。スポーツや音楽、文化の部分で、ここに来たら何か表現できるし、それを楽しむお客さんもたくさんいる。(映画をきっかけに)すごくピースフルなチャレンジができるまちに近づいていくといいね」

 

このまちはみんな仲間

 平 「桐谷健太さんもふらっと(シアタードーナツに)こられたんですよね」

 宮島 「コーヒー飲みにきた。(映画館って)分かってないなと思って、『ここ映画館ですよ』と言ったら『えっ』と。『僕も映画(ミラクルー)に関わってます』と言ったら、『このまちみんな仲間だね(桐谷)』と、それで数日後に、プライベートで映画をみにきていた。(『ミラクルのー』)キャスティングの妙もすごい。(桐谷さんは)久々にコザにスポッと(はまる)良い人だよね」

 平 「台本よりも桐谷さんが面白くしてくれました。コメディセンスがすごく高くて沖縄の役者さんと相性抜群だと思った。スタッフともコミュニケーションをすごく取る人なんですが、現場でアドリブというより、間とかの変化で全然笑えるようにする。爆笑してしまうというか。プロデューサーが本番中に吹き出すくらいだった」

 宮島 「みんなでムードを作ってるし、それぞれのキャラクターが(役どころを)理解しているというか。ちなみに、うちの親父もエキストラで出ている。公開されて、県内の人が見て、こんなのが沖縄でつくれるんだと。じゃあ自分たちのまちだったら、どんな映画が撮れるんだろうなと、イメージをすることで、またみんなわくわくすると思う」

60、70年代の雰囲気が今も残るコザのゲート通り

 平 「観光PRムービーがいっぱいある中で、自然に『話を面白くつくろうとおもったら、コザの方がいい』と思い付けたのが、幸運でした。コザのロックンローラーの人たちがおじいちゃんになっている。亡くなっていくであろう人や場所があり、このタイミングでしか、コメディ映画にできなかった。本当に、いいタイミングでコザの映画が撮れた」

 宮島 「あと、今をどう生きるか、というメッセージも映画にあるはずなので、それが楽しみ」

 平 「(メッセージについては)僕なりの答えを明示しました。(メッセージが)きれいに今のコザに落とせたと思う。またエンドロール用に、60年代後半から70年代の沖縄の写真を募集し、約100枚の写真が集まった。県民みんなで作った映画になれたと思う」

 

昔の雰囲気残すまちコザ

映画「ミラクルシティコザ」よりライブハウス「クラブクイーン」での一場面(PROJECT9提供)

 平 「『ミラクルシティー』のロケ地は、1970年代のコザと2020年のコザ、二つの視点で探す必要がありました。例えば70年代が撮れる場所だと、(金城さんに)相談して、プリンスや創業50年以上のタコス&カフェバーオーシャン、ライブハウスのセブンスヘブン、クイーンの4カ所をメインのロケ地として使わせていただいた。現代の場面だったら、中央パークアベニューやシアタードーナツの前の道路、パルミラ通り。金城さんから、コザに来る人に、こういう見方でロケ地を歩いたら面白いというアドバイスはありますか」

 金城 「作り込んだ世界を撮ってもらう上で、コザは昔の絵が意外に撮りやすいのかな。昔の雰囲気がまだ残っているので、映画でみたものを実際に体験しに来られる。都会から来られた方でも少しノスタルジックな、懐かしい雰囲気の場所に帰ってきたという思いになると思います」

 宮島 「いつかやってほしいのが、パークアベニューでの、映画『リーサルウェポン』みたいなカーチェイスや爆破。できるんじゃない」

 平 「柱をぜんぶ折っていくみたいな。一回、パークアベニューを全部爆破したらいくらかかるか、金城さんだったか、相談したことがあります」

 金城 「(パークアベニューは)道路拡張もあるから、タイミングがあったらできるかもしれない」

 平 「道路拡張の話を聞いて、すごい切なさが増しました」

 金城 「それを考えるといましかとれない映像があるかもしれないね」

コザ暴動で焼かれた車両を移動させる人々。米兵と思われる=1970年12月、コザ市(所蔵:沖縄市総務課市史編集担当、松村久美撮影)

 宮島 「いつかコザ暴動の再現とかね」

 平 「いろんな兼ね合いで難しかったが(映画に登場するコザ暴動のシーンは)本当はゲート通りを封鎖して、車を何台かひっくり返して燃やしてやりたかった。今回は燃やしてはいないが、炎、煙、人を使ってとある場所で再現した。いいシーンがとれたと思う。(ミラクルーでは)エッセンスの一つとしてのコザ暴動だった。コザ暴動の映画はいつか撮りたいです」

 「映画の中で『コザ暴動』とは言っていないが見る人が見たら、あのときのあれねとなるような感じになっている。昔の映像(資料)で、人が張り倒されて、(車から)引きずり出されていたのとかを見た。怒りの部分はあったけど、誰も死んでいなかった、という部分を想像を膨らませて、この中にこういう人がいたから誰もけがしなかったんだなと。そういうような結末。ファンタジーですけど、僕なりのコザ暴動の顛末というか気持ちの落としどころみたいなやつは入れました」

 宮島 「コザではいっぱい映画撮られているし、これをきっかけに撮影も増えるよね」

 平 「お二人が、好きなコザのロケ地はどこですか」

 宮島 「『涙そうそう』(2006年公開、土井裕泰監督)は、僕と金城がすごく関わった映画だった。あれが、沖縄市の諸見里百軒通り(でロケをしている)。あそこに園田エイサーと撮影クルーとエキストラのみなさんと、2人のスター(妻夫木聡と長澤まさみ)がいて。『コザで映画作ってる』というムードがあったね」

 金城 「自分も同じ(百軒通りのロケ)。(映画撮影は)尋常じゃないくらい日常ではないもの。でも、撮影しているそばで日常を送っている人たちもいる。本番は声が出せないのに、スナックでカラオケ歌っているとか。スタッフが『すみません、静かにしてください』と言いに行ったらむちゃくちゃきれられて。でも『映画の撮影なので』というと『オッケー、静かにする』と」

 宮島 「そうそう。そういうサポートがね。コザの人たちも分かってくれている」

映画「涙そうそう」の撮影風景=沖縄市諸見里(沖縄市観光物産振興協会提供)

 平 「なんですかね、あのコザのちょっと変な人もいるけどあったかい感。『ミラクルー』のロケハンのとき、1キロ半くらい着いてきたおじさんがいて、全員スタッフだと思っていました。同じ日、銀天街でも違うおじさんがずっと着いてきて。撮影の楽しげな雰囲気で着いてきたんだと思います」

 

映画のすばらしさ伝えたい

 平 「(沖縄市でオールロケが行われた)映画『ハイサイゾンビ』を2時間くらいとってほしいですもん」

 宮島 「あれがきっかけよ。シアタードーナツができたのは」

シアタードーナツ

 金城 「コザで作った作品をいろんな人に見てもらいたい、みてもらう人がいてからこそ映画は完成だよね。じゃあコザって、沖縄で作った作品って誰が見る環境があるのかと。映画は配給会社があって、その人が配給期間を決めて、配給しないと映画館で映画は見られなくて。DVDにならないかもしれないし。作っている人にとっては見てもらって完成。それでやりたいなとなったんだよね」

 宮島 「平も昔、『映画館つくりたいんですけど』と相談に来た。(そのときは)大丈夫よおれが作るから、あんたは面白いの撮りなさい、と言った」

 平 「もともとは映画監督じゃなくて、映画の配給とか、作った人と一緒にいたいなと思っていたんです。漠然と映画の世界が好きだから。みんなに映画を広めたい、自分の好きな映画ばっかり映画館で流したい、とお二人みたいに映画に関わる人になりたかった」

 金城 「俺は真逆。小学校のときから、映画を作りたくて。大学のときから撮ったり。観光の大学なので卒業したら必然的に観光の仕事をする。あきらめるしかないと思った中で、映画の中の現場に関われる仕事があるんだって、フィルムコミッションのことを知った。現場にいる幸せを感じたいとフィルムオフィスを立ち上げた」

 宮島 「高校卒業後、日本映画学校を受験した。落ちたけど、そのときほっとした。オリエンテーションの現場が怖くて。こんなに怒られながら映画つくるのかと思った。今村昌平監督との個人面接があって『宮島君はどんな映画撮りたいの』と聞かれて『スターウォーズ』と答えたら『日本じゃ無理だよ』と言われた。推薦試験だったんだけど、今村監督に『推薦落ちても受けるかい』と聞かれて、『うん』と言ってしまって。だから落ちたと思っている。高校のときに8ミリフィルムで(映画を)撮ったりしていたけど、どんどんつくる側より、映画のすばらしさを伝えたいなという方に向いていった」

 

映画を見てコザに来て

沖縄市を舞台にした「ミラクルシティコザ」の内幕を語り合った(左から)宮島真一さん、金城諭さん、平一紘さん

 平 「映画は来年1月に沖縄で先行公開した後に、2月に全国で公開します。コロナが落ち着いたタイミングであってほしいと思っているんですが落ち着いていたら、このコザの感じ、飲み屋街とか本当に楽しいからみんな来てほしいと思う」

 金城 「ライブハウスにも行ってほしいよな」

 平 「映画では、ライブハウスもオープニングから不況でどんどんつぶれていっているとなっているが、実際はめちゃくちゃ頑張っている。映画を一緒に作ったセブンスヘブンさんとか、いろんな音楽関係の人たち、めっちゃ踏ん張っているので、踏ん張っている間に来てほしい」

 

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