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生まれたときからこの匂いに包まれて…伝統のかつお節店 沖縄料理支え創業60年<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈21>


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1961年に創業し、かつお節を中心に、さまざまな乾物を扱う松本商店=那覇市松尾

 市場には土地の匂いがある。その匂いは、地元客にはどこか懐かしく、観光客には物珍しく感じられるものだ。那覇のまちぐゎーにも、いろんな匂いが折り重なっている。その一つはかつお節の匂いだ。

全国の3倍

 「生まれたときから、このかつお節の匂いに包まれてました」。そう話してくれたのは、創業60年の「松本商店」の2代目・松本司さん(49)。司さんが生まれた1972年は、沖縄復帰の年であり、旧・第一牧志公設市場が完成した年でもある。 「松本商店」の創業者は、司さんの母・あき子さん(84)。1936年生まれのあき子さんは、まちぐゎーにあった乾物屋「発田商店」で働いていた。1961年、宮崎県出身の店主から経営を引き継ぎ、「松本商店」として独立。かつお節を中心に、さまざまな乾物を取り扱ってきた。

 「沖縄料理のベースはかつおだしですので、沖縄はかつお節の消費量が多いんです」と司さんが教えてくれる。総務省の家計調査によると、那覇市のかつお節消費量は全国平均の3倍にのぼる。

 かつお節を作るにはまず、燻(いぶ)って乾燥させる。焙乾(ばいかん)と呼ばれるこの工程を3週間近く重ねると、「荒節」が出来上がる。スーパーなどで市販されている削り節の多くは、この荒節を削ったものだ。

 荒節は、煙で燻した名残で、表面は黒く焦げたような色をしている。荒節の表面をきれいに削ると「裸節」となり、裸節にカビづけすると「枯節」になる。長期間にわたってカビづけを繰り返したものは「本枯節」と呼ばれ、香りがマイルドになるが、熟成に手間がかかるぶんだけ高価になる。沖縄では強い風味が好まれることもあり、「松本商店」は昔から裸節を扱ってきた。

店頭に並ぶかつお節
「きざみ昆布」や「角切りだいこん」などが並ぶ店内の商品棚

 「枯節と違って、裸節は燻した匂いがするんです」と司さん。「沖縄だと、いろんな料理にかつおだしを使うから、消費量が多くなる。昔はかつお節を削るのはこどもの仕事でしたけど、今のこどもは削ってくれないですよね。だからうちのお客さんも、自分でかつお節を選んで、削りたてのかつお節を買って帰られる方がほとんどです」

 削ったかつお節は、冷蔵庫に入れておけば2、3カ月は持つという。冷蔵庫が普及したことで、毎日削らなくても済むようになったことも、この数十年の大きな変化だろう。

コロナ禍で一変

新型コロナウイルス対策でマスクを着用し、松本商店の2代目店主として店を切り盛りする松本司さん

 司さんが生まれた当時、「松本商店」は松尾19号線沿いに店を構えていた。店舗の上が住居になっていたこともあり、司さんは小さい頃から両親の働く姿を見て育った。

 「うちの両親は、朝の8時過ぎには店を開けて、ほとんど年中無休で働いてました。休みはお盆が明けた翌日と、正月の3日間だけ。お盆と正月はすごい人出で、まっすぐ歩けない状態でした。お客さんが途切れないものだから、うちの店も日付が変わる頃まで営業してました」

 お盆と正月が近づくと、まちぐゎーは多くの買い物客でにぎわってきた。だが、コロナ禍で状況が一変した。

 「今年のお盆は、去年よりはマシだろうと思っていたんです。でも、感染爆発で、去年よりさらに厳しい状況ですね。今年も県から『旧盆中の親戚訪問控えて』と呼びかけられたこともあって、お盆も家族だけで済ませる方が多かったので、かつお節の注文も相当減りました」

 県外出身のわたしは、コロナ禍になって初めて、沖縄におけるお盆の意味を理解できた気がする。

 お盆はご先祖様をお迎えする行事だ。先祖崇拝の強い沖縄では、お盆には親戚一同が集まり、お仏壇に重箱料理をお供えする―と、それは知識として知っていた。ただ、お盆前にまちぐゎーを訪れる買い物客は、あとでウサンデーするにしても、ご先祖様にお供えするための食材を買い求めているものだとばかり思っていた。

 「お盆とお正月にかつお節が売れるのは、重箱料理を作るだけじゃなくて、訪ねてきた人をおもてなしするからなんです。親戚のおじい、おばあにつかまると、『これ食べなさい、あれ食べなさい』と、カメーカメー攻撃にあう。でも、お盆に訪ねてくる人がいなくなれば、料理の準備も必要ないでしょう。それからもう一つ、お盆とお正月に忙しくなるのは、お中元やお歳暮が売れるからなんです。でも、お盆に各家庭をまわれなくなって、お中元の注文も少なくなったんです」

新時代見据え

さまざまな産地の昆布

 わたしの郷里では、お中元は直接手渡すものではなく、郵送するものだった。だから、お盆はお墓参りをする程度で、これといった行事はなく、親戚と顔を合わせる機会も少なかった。でも、沖縄におけるお盆は、死者を悼む行事であるのと同時に、同じ時代を生きるわたしたちが顔を合わせるための行事でもある。そんな大切な行事が、2年連続で自粛を余儀なくされた。

 感染拡大により、まちぐゎーの人通りは激減した。そんな状況下でも、「もしも常連のお客さんが買い物にきたときに、かつお節を提供できるように」と、「松本商店」は営業を続けていた。

 この数十年のあいだに、スーパーマーケットやショッピングモールが増えるにつれ、まちぐゎーを訪れる地元客は減り、入れ替わるように観光客が増えた。2010年代に入ると、インバウンドの観光客が急増した。

 「うちの店も、ここ数年はインバウンドのバブルだったと思います」と司さんは振り返る。「でも、これから先のことを考えると、観光だけじゃなく、地元の若いお客さんにも楽しんでもらえる市場になるといいなと思っています」

 「松本商店」では、かつお節でだしをとったことがない若者にも気軽に利用してもらえるようにと、お湯に溶かすだけで使える粉末だしや、ツマミになる「食べる鰹節(かつおぶし)」といった新商品も開発した。曲がり角に立つまちぐゎーで、「松本商店」は新しい時代を見据えた取り組みに力を注いでいる。

(ライター・橋本倫史)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2021年8月27日琉球新報掲載)

9月24日付の「まちぐゎーひと巡り」は休みます。