移民帰りの住民、米兵と対話 根保幸德さん 島の戦争(18)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在のうるま市与那城の宮城集落

 1945年4月3日、宮城島に上陸し、その日のうちに引き揚げた米軍は4日にも再上陸します。根保幸徳さん(87)=うるま市=は両日の出来事を記しています。

 《4日4日、米軍が再上陸し、駐屯を始めたが、住民のほとんどは壕から出て、わが家に帰った。それには次のようなエピソードが語られている。

 前日3日の米軍上陸後、ある壕の入り口付近で、聞き慣れない紛れもなく米兵の声が聞こえた。数十人の壕内の住民は、ここで皆殺しにされるに違いないと震えていた。

 米軍は壕内に向かって「何もしないから出てきなさい」とでも言っていたのか、壕内にいた小柄なおじさんが何を思ったのかノコノコと壕の外へ出て行った。米軍と何やら話をしていたが、やがて笑い声さえ聞こえてきた。

 壕内の住民は「自分たちは助かるんだ」と感じ、笑顔が戻った。おじさんは壕に入ってきて「アメリカーは住民に何も危害を加えないから安心して壕から出るように言っている」と話し、米兵からもらった島では初めて口にするチョコレートをみんなで分け合った。住民は安心して壕から出て、わが家へ帰った。

 そのことを知ったほかの住民も次第にわが家での生活に戻った。》

 「おじさん」は若い頃、ハワイに出稼ぎに行った経験があり英会話ができました。「殺さない」という米兵の話を伝え、住民を安心させたのです。

※注:根保幸徳さんの「徳」は「心」の上に「一」