prime

糸満高校(1)玉城美香さん「やりたいことは声に出す」 悩んだ進路、あこがれの先輩<セピア色の春―高校人国記>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
玉城美香氏

 ラジオパーソナリティーの玉城美香(46)は1974年、糸満市真栄里で生まれた。高嶺小学校に通っている頃、糸満を拠点に活動する芸能グループ「乙女椿」の研究所で舞踊を学んだ。週末は地域行事に出演し、人前で歌い、踊った。「綱引きや成年祝い。毎週末のように営業だった」

 高嶺中学校に進んだ玉城は一転、テニス部に入った。「毎週末、営業で忙しかったことの反動だった。3年間楽しかった」

 90年、糸満高校に入学。放送部と吹奏楽部に入部した。放送部にあこがれの先輩がいた。現在、演出家やラジオパーソナリティーなど、幅広く活動する富田めぐみ(48)である。

 「めぐみさんは二つ上の先輩で、放送部と軽音学部で活躍していた。ラジオやテレビに出ていた先輩にあこがれて放送部に入った」

 全国高校放送コンテストに出場するなど活躍の場を広げる富田に羨望(せんぼう)のまなざしを向けた玉城。「ストーカーですよ。でも、とてもかわいがってもらった」。玉城は今も敬意を込めて富田を「先輩」と呼ぶという。

2007年に制定した糸満高校の校訓「大望実践」

 「先輩にあこがれた」という話に富田は「ウソだー」と驚きながらも「みーかーは沖縄を代表するパーソナリティーになった。すごくうれしい」と語る。

 高校2年の時、玉城はラジオで話す機会を得る。ラジオ沖縄(ROK)の「ROKヤングシャトルとんでもHAPPEN(ハップン)」に、夏休みを取る富田の代理で短期間出演した。「人気番組だったので、友達は驚いていた」

 ただ、ラジオのパーソナリティーになるつもりはなかった。

 「毎週のように友だちと西崎の近隣公園に行って3時間くらい話し込んだ。働いて母を助けてあげようか、それとも進学しようか。相当悩んだ」

 漠然とだが、教師となる夢はあった。顧問として放送部員を熱心に指導していた国語教諭の新崎尚子が目標だった。

 「新崎先生は『やりたいことは声に出しなさい』と教えてくれた。言葉にすることで努力するんです。印象に残る一言でした」

 高校卒業後、那覇市内の予備校に通っていた玉城をラジオの世界に誘ったのが富田だった。

 「めぐみさんが『ラジオ沖縄でオーディションがあるので受けて』と言うので、履歴書を渡した」。玉城はオーディションに合格し、94年4月の新番組「R―DAYS へのへのうしし」への出演が決まった。ディレクターは現ラジオ沖縄社長の前川英之(62)。「リスナーと遊ぶ」ことを前面に打ち出した番組だった。

 プレッシャーを感じながらも、玉城は番組あての手紙やはがきに目を通す中でラジオの魅力を実感した。「私の話で笑い、共感してくれる人がいる。リスナーとの距離が近いメディアだと思った」

 母も「やりたいことが見つかったのなら、この道に進んでごらん」と玉城の背中を押してくれた。

 その後、いくつもの人気番組を受け持った。その間、結婚し、3人の子の母となった。産休を挟みながら担当したラジオ沖縄の「チャットステーションL」は25年の長寿番組となった。現在、週4日担当するROKの「バルーン みーかーのわははのは」は10月から4年目に入る。「リスナーに恩返しができるまでパーソナリティーを続けたい」

 一緒に人生を歩んできたリスナーとの間で笑顔と共感を育んできた玉城は、進路に悩み、公園に通っていた高校時代の自分にこう声を掛けてあげたいという。

 「そんなに悩まなくていいんだよ。大人ってそれほど悪くはないよ」

 (文中敬称略)
 (編集委員・小那覇安剛)
 

 【糸満高校】
 1946年1月 開校(16日)、首里分校設立(27日、3月に首里高校独立)
 3月 真和志分校設立(9月に首里高校と合併)
 5月 久米島分校設立(48年6月に久米島高校独立)
 56年4月 定時制課程設置(74年に廃課程)
 88年6月 県高校総合体育大会で男女総合優勝
 2011年8月 野球部が夏の甲子園に初出場
 15年3月 野球部が春の甲子園に初出場

クリックで糸満高校の校歌が聞けます。

<こちらもおすすめ>

▼「リスナーと一緒に人生を」玉城美香さん、糸満高校で始まったラジオ人生

▼琉球新報ラジオ部が配信100回!玉城美香さんもお祝い ラジオは「人の心に寄り添える」

▼国仲涼子さん「沖縄のおばあになれるかな」<那覇商業高校>