徴兵避けるための南米移民も 複雑な社会情勢を聞き取り 大城文学理解の手掛かりに


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企画展「小説『ノロエステ鉄道』とブラジル・カンポグランデの沖縄県系人」で展示される大城立裕さん直筆の生原稿(手前左)と創作ノート(奥の2冊)など

 沖縄初の芥川賞作家・大城立裕さんが1973年と78年に南米の県系移民らへの聞き取り調査をした際の音源が残っていたことは、移民史研究と文学研究の両面で意義がある。識者からは「大城立裕さんの文学を考えるための、一つのよりどころとなる」と今後の活用へ期待する声が上がった。

 「うんじょー、ブラジルんかい、めんそーちぇー、いくちぇやいびーてぃ(あなたがブラジルにいらしたのは何歳でしたか)」

 1978年5月18日、ブラジルのカンポグランデ。当時52歳の大城立裕さんはウチナーグチを駆使しつつ、ヤマトグチも交え、県系1世の大城カメさんに質問した。「うれ、何時頃やいびーてぃ(それは何時ごろでしたか)」、「明るいうちに着いて良かったですね」。時には談笑も交え、次々に証言を引き出していった様子がうかがえる。

 複雑な社会情勢の中での体験を聞く場面もある。沖縄からブラジルへ移民する際、徴兵忌避を目的にした事例もあったという情報を念頭に、率直にヤマトグチで「徴兵検査を避けるためとも聞くが、そういうこともあったのですか」と尋ねた。これに対し、カメさんは夫・大城幸喜さんの状況を踏まえ「日露戦争で、いとこが2人亡くなりました」「親たちがね。『お前の体では徴兵検査は逃れられない。今のうちに』『また戦争で命を亡くす』と。昔の人の親心」などと答えた。徴兵を避けるため、親の配慮で移民したことを認めた。聞き取ったライフストーリーはその後、小説へと反映された。

 大城立裕さんによる移民調査時の音源が公開されることについて元琉球大学教授で作家の大城貞俊さんは「とてもうれしいことだ。大城立裕文学を捉え、理解する手掛りの一つになる。復帰50年を機にウチナーンチュを考え、大城立裕さんが見た沖縄を考え、そのことで新しい沖縄を見ていくことにつながる」と意義を強調した。

(古堅一樹)