工事中に発見された沖縄戦中の「ガマ」 逃げ込んだ男性が当時を証言


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「生きて出たのは僕らだけと聞いた」と話す金城榮吉さん=15日、糸満市真壁

 【糸満】糸満市真壁の下水道工事現場で7日に発見されたガマから、手りゅう弾や軍靴が見つかっており、沖縄戦当時の状況をうかがわせている。戦時にこのガマに逃げ込んだという同市の金城榮吉さん(86)が15日、現場を訪れ、当時の様子を証言した。「生きて出たのは僕らだけと聞いた」と振り返った。

 沖縄戦時中、今回発見されたガマから約100メートル離れたアンガーガマに避難した金城さん。だが、日本軍が野戦病院にすることを理由に、多くの住民とともにアンガーガマを出された。大雨の日だったという。

 その後、母方の祖父ら3人が隠れ場を探し出し、金城さんは母と妹、弟、叔父、母方の祖父の6人でこのガマに入った。ガマには計5世帯15~16人ほどが避難していたという。

ガマのそばで取材に応じる金城榮吉さん

 ある朝、入り口付近に米軍の爆弾が落ちた。金城さんは当時の記憶をよく覚えていないが、気付いた時にはガマの下に敷いていた板の破片が腹に刺さっていた。叔父の手の甲(こう)は皮がめくれ、祖父の頭部2カ所におわんの破片が刺さっていたという。

 一家はその後、二手に分かれ、逃げ場を求めて近くを転々とした。最終的には真壁で米軍捕らわれた。ともに逃げた妹、防衛隊に取られた父、曽祖父と祖父が戦争で亡くなった。

 金城さんは脚が悪く、今回見つかったガマに入れなかった。「(戦争のことは)考えたくもない。たくさんの人が死んで戦争は怖い。本当は何も思い出したくない。でも今生きて話せるのは私だけ」と現場を訪れ証言した胸の内を明かした。