
>>「会いたい…」実母思い葛藤 母子手帳に面影探す<家族になる 里子・里親の今>1 から続く
1歳の頃、里親家庭に迎えられた本島南部の20代のミカさん(仮名)。6歳を過ぎて特別養子縁組をし両親と暮らす中で、母の日の絵や家族に関する行事を経験するたびに、社会では血のつながりの方が大事にされているのではないかと疑問に感じた。血のつながりこそ家族、という考えが嫌で否定したいからこそ、より一層気にしてしまう自分がいた。
気持ちは募り、高校2年生の頃、実母を捜そうと把握できた最終住所地の大阪へ飛んだ。母親も一緒に付いてきてくれた。目指す住所へ近づくにつれ、緊張と不安が襲った。いたら、どうしよう。いなかったら、どうしよう。他の人と一緒に暮らしているなら、どうして自分だけ…。
緊張を抱えながらたどり着いたのは、工場が立ち並ぶ地域。無機質なアパートが目に入った。実母の名前を探してみたが、どこにも見つからなかった。会えなかったことにどこかほっとしつつも、やっぱりなと落ち込んだ。「もっと捜す、絶対に見つける」「見つけたら謝ってもらう」と、捜し出すことに執着していた。
当時の心境を振り返る。「直接会いたいわけではなかった。第三者に『あの人だよ』と伝えてもらうだけでいい。ただ本人を遠くから見てみたかった」
里親登録する両親の元には、普段から多くの里子らが訪れた。初めはお互いに人見知りすることもあったが、1週間も一緒に生活すると友人のような関係になった。短い場合は数日、長い時には10年、一つ屋根の下ともに過ごした。時間を重ねる中で、次第に友人以上の大切な存在になっていた。
一方で両親に対して「自分にもかまってほしい」という思いもあり、母親とは何度もぶつかった。言ってはいけないことだと分かっていても「あっち(県外)に行けば、親がいるから」と鋭い言葉を投げたこともあった。言ってしまった後悔と、もやもやした感情が残った。
「ミカがいて良かったと思ってるし、けんかも時には必要だと思う」「一緒に暮らしていたら、家族なんじゃない?」―。何度も何度も衝突しても、両親は寄り添って言葉を掛け続けた。
大切なつながりを感じる里子たちや自分に正面から向き合う両親の存在は、血のつながりに執着していた心を、少しずつ自由にしてくれた。
(吉田早希)