集団登校中に空襲始まる 宜野座嗣郎さん 島の戦争(3)<読者と刻む沖縄戦>


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 フィリピン・ミンダナオ島のディゴス国民学校に通っていた宜野座嗣郎さん(85)=糸満市=は1944年10月、米軍の空襲に遭います。この月、米軍はレイテ島に上陸し、日本軍との戦闘が始まります。空襲があったのは宜野座さんが学校へ向かう途中のことです。

 「集団登校で麻山の道を通っている時に爆弾が落ち、6年生が登校を止めて隠れました。リーダーが広っぱに出てあおむけに寝ていましたが、しばらくすると飛び起きて、大きな声で『友軍の飛行機ではない』と叫びました。私たちは家に戻るよう指示を受けました」

 家では母カナさんと妹、弟が壕に避難していました。飛行場で物資運搬に従事していた父の嗣吉さんは必死の思いで家に戻ってきました。

 翌日から家族の逃避行が始まりました。行き先はミンダナオ島の都市ダバオの北西にあるタモガンという地域です。

 「空襲の翌日、タモガンに避難しなさいという指示が出ました。出発は少し遅れてしまいました。ゆっくりゆっくり、一週間くらい歩いたか。麻山やジャングルを通ってタモガンに着きました」

 宜野座さん家族が到着する前、タモガンは米軍の猛攻に遭い、大きな被害が出ていました。到着後も攻撃を受けました。

 「タモガンはこっぴどくやられて悲惨でした。私たちは命拾いしました」

 家族はタモガンを離れ、ダバオの南西にあるミンダナオ島で最も高いアポ山に向かいます。