タロイモで飢えしのぐ 宜野座嗣郎さん 島の戦争(4)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子

 戦火を逃れ、ミンダナオ島をさまよう宜野座嗣郎さん(85)=糸満市=の家族はダバオの南西にあるアポ山の麓に逃げ込みます。10人ほどの日本兵もいました。家族は終戦までこの山で避難を続けました。食料は野生のタロイモやバナナなどです。

 「音を立てなければ米軍に攻撃されることはない。夜、米軍の攻撃が終わった後、タロイモを炊いて食べました。調味料はないのでタロイモは味はしない。それでも、山の中でひもじい思いはしませんでした」

 米軍の攻撃や飢えよりも怖かったのが病気でした。山中でマラリアにかかることを家族は何よりも恐れていました。

 「私たち親子は誰も病気になりませんでしたが、日本兵がマラリアになって肩で息をしていました。上司が『早く元気になって来いよ』と言い、去って行きました。病気の日本兵を見捨てたんです」

 45年8月、米軍の偵察機が上空からまいたビラで戦争が終わったことを知ります。家族は2、3日かけてゆっくり山を下り、大通りに出ました。そこには米軍のトラックが待っていました。空襲以来、約10カ月続いた避難生活が終わり、家族は収容所に向かいます。

 米軍に捕らわれたのは父の嗣吉さん、母のカナさん、嗣郎さんを含むきょうだい6人です。米軍は嗣吉さんを他の家族と分けて、別の収容所に移送しました。嗣郎さんはこの時、嗣吉さんと生き別れとなります。