500年以上前の建物跡を発見 名護市・嘉陽上グスクに柱の穴500個


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嘉陽上グスクで発掘された11世紀後半から16世紀前半のものとみられる柱の跡=24日、名護市嘉陽

 【名護】名護市教育委員会による嘉陽上グスク(名護市嘉陽)の発掘調査で、11世紀後半から16世紀前半に掘られたとみられる約500本分の柱の穴や鉄の残滓(ざんし)などが見つかったことが25日までに分かった。嘉陽上グスクは石垣のない「土のグスク」で、同じ現場で発掘された中国産青磁や白磁、徳之島のカムィヤキなどから、グスク時代から第一尚氏、第二尚氏前半の時代に何度も建て直された建物跡だと推測されるという。

 本島北部などに十数カ所あるという土グスクの広範囲な調査は県内で初めて。グスク研究所主宰の當眞嗣一氏は「文献資料はないが、伝承によれば勝連(現・うるま市)から来た嘉陽大主(うふしゅ)の居城だったとされる。グスク時代の沖縄を知ることができる非常に重要な発見だ」としている。

 嘉陽上グスクは標高約60メートルの丘陵地の斜面を利用した、グスクの防御のための「切岸(きりぎし)」という段差が複数あるのが特徴。拝所の下など「曲輪(くるわ)」と呼ばれる平らに整地された場所が複数あり、そのうち2カ所の調査で大量の柱の穴跡が見つかった。重なり合った柱の跡は建物の建て直しの跡だとみられるという。

 青磁や白磁類の他、勾玉(まがたま)やガラス玉なども発見されており、何らかの祭事が執り行われていた可能性がある。また、石斧(せきふ)と鉄くずが一緒に出土した遺物類も発見されており、鍛冶工房で農具や武器類を作っていたことも推察されるという。

 名護市教育委員会文化課文化財係の横手伸太郎学芸員は「交易していた時代のグスクには中国の青磁や白磁などが残っており、グスク時代に按司(あじ)など有力者が住んで地域を治めていた可能性もある」と述べた。

 名護市教委は名護市が実施している嘉陽上城構内道路整備事業に伴い、9月から発掘作業を実施している。 (松堂秀樹)


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